中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

随筆自伝(43)私を守っているのはだれなのか

日本基督教団には伝道師、牧師養成機関がいくつかあるのです。。 教団立としては、三鷹市にある日本基督教団・東京神学大学と、日野市にある農村伝道神学校のふたつで、後者はアルフェレッド・ストーン宣教師が理事長だった。 私が入学した1954年の9月…

余震が起こるたびに潰れる家多く辛い

能登地震の余震では最大のマグニチュード6の地震が午後6時前に発生しました。 多少の津波もあるかもということでしたが。 元旦の能登地震以降、何度も余震が発生し、そのたびに傾いた家が倒壊に至っているようです。 今夜の震度5では大きなダメージがあっ…

お爺ィの楽しい料理(82)

1月9日(火)の今日はよく歩いた。仕方なく歩いたのだから自慢にもならない。約4千歩も歩いた。 バスにも2回乗り、タクシーにも2回乗った。 行かねばならない所ばかりで仕方なく腰を庇いながら歩いたので、明日には反動があるかもと恐れています。 と言う…

随筆自伝(42)私を守ってくれたのはだれなのか

東京へ向かう日が来た いよいよ東京へ向かう日が来た。北条駅から電車に乗った。駅には友人となった二人が見送りに来てくれた。藤木さんに、もし手紙をくれるのならここに出してほしいと今里の叔母の住所を書いて渡した。 わたしが、叔母の家に到着して、神…

お爺ィの楽しい料理(81)

今日は成人の日だとか。 私が成人式に出席したのは、はるか昔ではあるが、成人の日が設定されたのは1949年の1月15日が最初だった。ということは第6回の成人式ということになるが、貧しい庁舎でのもので、なんの感慨もなかった。だが成人になったのだという…

随筆自伝(41)私を守ってくれたのはだれなのか

第二章 《飯盛野伝道学校の日々》 いよいよ新しい日々が始まった。今後どのように展開していくのかわからぬままに次の朝が来た。 朝六時に起き、岩塚先生と生徒三人で近くの飯盛山に駆け上る。山頂まで半時間はかかり、着いた頃には息が上がってしまうほどだ…

お爺ィの楽しい料理(80)

12月27日が今年最後の診察日という日に耳鼻科を受診しましたが、処方された薬では悪化の一途で、ここままじゃ危ないと思って抗生剤に変えていますが、中々治らない。病名は鼻の炎症だとは自覚しているが時間がかかり過ぎて悩む。 明日から診察開始だろうからぜ…

随筆自伝(40)私を守ってくれたのはだれなのか

日本輸送機に中卒の社員が入ったのは私が最後ではあるまいかとおもう。伝手が良かったとはいえこんな大企業に入れたことはラッキーなことだったのかもしれない。 しかし、私は巨大な組織の中で、小さな歯車となって生きたくはない。もっと夢を大きく持ちたい…

お爺ィの楽しい料理(79)

今日はこれまで誰からも電話もなく、忘れ去られたような日だった。 4日、5日、そして今日の3日間(ぜんざいを)午後三時に食べました。昨年いただいた大きな丸餅を入れて美味しくいただきました。 今日の夕食は、凄いボリュームですが完食しました。 大きな…

紫外線恐怖症はやめましょう

今日は思ったより気温が高かったですが、明日は今日の半分もない低気温の予想になりました。 骨を丈夫にするためにはビタミンDが大切で、そのためには太陽に最低8分間浴びるのが良いそうです。出来ることなら腕を出し足も半パンツ程度で太陽を浴びることが…

随筆自伝(39)私を守ってくれたのはだれなのか

<琵琶湖で遭難しそうになる> 僕はじっとしているのには慣れていないから、町に出てあちこち歩いているうちに、電機店に立ち寄り、店の息子の立命館大学生と知り合いになった。彼がヨットに乗せてやろうかと誘ってくれ、琵琶湖のほとりの大津市まで行ってヨ…

お爺ィの楽しい料理(78)

今年になってはや4日。あっという間に過ぎてしまったが、能登地方の人たちには長いながい4日間だったことでしょう。 発表されるたびに死亡者数が増え、行方不明者数も増えています。 余震と言うべきかどうか判りませんが群発地震回数が多過ぎて、人びとは…

随筆自伝(38)私を守ってくれたのはだれなのか

<国鉄京都線沿いの神足に住む> 木村さんは、自分がしている仕事について詳しく説明してくれ、あすから仕事場を見てごらんと勧めてくれた。 工場内は広いのだが作業をしている人は八人だった。作っているのは「継ぎ竿」 (つぎざお)だった。太い部分から細…

正月2日に届いた請求書からことが始まる

全てはこの写真の請求書からです。 会社というものには心が失われているのか、正月の2日にカード会社から請求書が届きました。 みて驚いた。 去年揉めに揉めたうえでカード会社が誤りをみとめる書類を送って解決済みのはづが、請求書に記載されているではな…

お爺ィの楽しい料理(77)

今日はとんでもない日になりました。元旦から悪いニュースばかりで嫌な予感がしておりましたが、事件とは関係ないものの、とても嫌な思いをさせられましたが、一つだけ良いニュースもあって気持ちが救われました。 悪い気分に関して午後6時前まで掛かり食事…

随筆自伝(37)私を守ってくれたのはだれなのか

《私の新しい道が始まる》 それから朝まで、おとな六人が額をくっつけ、今後どうする?という話し合いが続いた。途中で話に割って入り 『これはだれの写真なの』と一葉の写真を財布の中から取り出した。 それはたっちゃんの写真だな。という。母の妹の辰子さ…

89歳お爺ィの楽しい料理(76)

今日も内心はドキドキ。3日続きの事件が起こりませんようにと。 昨夜はとても良く眠れ、8時にトイレで起きて、そのまま眠って起きたのは正午直前でした。ベッド・インしたのは午前0時半でしたから、ほぼ12時間眠ったことになります。これだけ眠れるときは調…

随筆自伝(36)私を守ってくれたのはだれなのか

《母と再会する》 伯父が推定していた時間よりかなり遅れ、十一時を過ぎて母親たちが入ってきた。心のどこかで想像していた涙のご対面というような場面は訪れなかった。どちらも初対面という感じだった。 最初に「あの写真の人とは違う」と思った。ずっと大…

もし元旦の地震がなかったら日航機事故もなかった

すでにご存じのように、羽田空港で海上保安庁の飛行機と日本航空機が接触して火災が発生し、日本航空の飛行機には乗客乗員369名が乗っていましたが、あの火災の中全員が脱出できました。海上保安庁機には6人が搭乗していて5人の死亡が確認され、1人は…

箱根駅伝でおもうこと「山の神」

今日の箱根駅伝は十分に楽しめました。 自分の体調がよくない日に、しんどいから横になっていては病魔に付け込まれて体調が悪化することもあるが、箱根駅伝を録画しておいて二時間遅れてみ初めて最後まで見届けた。 箱根駅伝では、なんと言っても5区の山登…

お爺ィの楽しい料理(75)

2024年は、どうなるのだろうという元旦に続いての大事件。 日本航空機と海上保安庁機のどちらかがミスを起こしたということだが、日本航空機から乗客常飲全てが脱出出来たのが何よりだった。 昨日は天災で今日は人災。どうか3日続きになりませんように…

随筆自伝(35)私を守ってくれたのはだれなのか

《有為朗か!》 『えっ向いの家? ありがとうございました』 向かいの家?? ここなの?? 母はどうしているのだろう。何と言おう? 表札を確認すると祖父の名が書かれている。ガラガラと引き戸を開け 『こんばんは、瀬古よしえさんのお宅でしょうか』 玄関…

お爺ィの楽しい料理(74)

新年おめでとうございます。今年も爺ィの料理を肴にお楽しみくださいませ。 元旦から震度7、津波警報の大騒ぎで今年のこのさきが心配ですが、もう来る頃だろうと心配していた矢先のことでしたので、東南海地震が余計に心配になってきました。 今日の私はベッ…

随筆自伝(34)私を守ってくれたのはだれなのか

《とつぜん人生の転換が始まった》 翌朝、食事をしながら叔母が唐突なことを言い始めた。 『ウイちゃん、お母さんのことをかんがえたことあるの?』と。 物心ついた時から、絶対に身内のだれとも、母の話はしてはいけないと封じられていた。 言い出すことも…

新年のご挨拶とタイトル変更について

新年あけましておめでとうございます。 どうか今年もみなさんにとって良いお年でありますように祈願いたします。 今年はパリ・オリンピックの年であり、炎上したノートルダム寺院が再建が完成する 年でもあります。 オリンピックも待ち遠しいですが、今年は…