命をかけて仕事をする。命をかけて生徒を愛する。いつも私の言ってきた言葉ですが、岸本先生はそれを実践しています。
この愛があれば、暴力はいりません。 冷凍された種を解凍することが出来るのは、この愛なのです。 愛は必ず人の心を開きます。 愛は人を育てるのです。
神戸暁星学園を立ち上げるまでの大変な日々も、学校が出来てからの生徒とのかかわりも、思い返せば楽しい日々でした。
管理主義教育にならないようにと、教師たちを教育するのが大変でもありました。
当時の中学校の一クラスは45人ほどでした。 その中の数人は高校進学の道が閉ざされた時代だった。 就職難の時代でもあって、高校進学できないと、邪魔者扱いされる時代でもあった。
彼らに責任はないのに、落ちこぼれと見捨てられている現状を黙ってみておれなかった。
私は、やんちゃと言われる生徒も含めて、だれもに「可能性」があることを信じていたし、それを私のやり方で証明して見せたかった。
我慢強く私を信じてついてきてくださった教師たちと一緒に、多くの生徒を世に送り出すことが出来たことはとても幸甚でした。
50歳からは世のため人のために生きると決心したことを、実行しながら生き続けているのです。
神戸暁星学園は、阪神淡路大震災によって、須磨校舎が炎上し、兵庫校舎が傾き、廃校を余儀なくされたのだったが、あの時代の、あの局面に大いに役立ったと自負しています。
また、一般法人が通信制と連携できる糸口を開けたことで、その後に高校進学の受け皿となる学校が一気に増えたことも先駆者としての誇りを感じています。
《最大の難事が発生も生徒を守る》
今回で学校創立についての大まかな話は終わりますが、神戸暁星学園での最大の難事を書いておきましょう。
毎年一年生の一学期末にキャンプを行います。 そして毎年のように大きな問題が起こります。 教員たちの中には、問題が起こる時期にキャンプをしないでほしいという要望もあります。 しかし、問題が起こることを承知のうえで敢えて続けてきました。
キャンプが終わり、夏休みがおわり、二学期に入る頃になると新入生たちが一段と成長している姿を見ることが出来るからです。
ところが、ある年のこと、あまりにも予想外の事件が起こってしまったのです。
毎年お願いしている観光バス会社のバス数台に乗ってキャンプ地へ行く途中で、その内の一台のバス内で問題が起こりました。 詳しい経緯は省きますが、キャンプ地についた時には、そのバスのすべてのシートがカッターナイフで切り取られてバスの外に捨てられていました。 窓のカーテンも切り裂かれて捨てられていました。
すべて一人の生徒がやったことでした。
騒動を大きくしてはバスの運転にも差しさわりがあるといけないからと教師の制止も控えめだったようです。 もちろんカッターナイフを振り回している生徒をそれ以上に刺激しないようにという思いが教師にあったようです。
バスが目的地に着いたところから、この問題は大きくなっていきました。
直ぐにバス会社から電話があり、事の次第を告げられたうえ、「こんなことはわが社が始まって以来、初めてのことです。 三日後の帰路のためのバスを差し向けるわけにはいきませんからご承知おきください」とのことだった。
さっそく出向いてお詫びするとともに、弁償の見積もりをお願いし、三日後の復路のバスを出してくださるようにと、伏してお願いして了承された。 バス会社との交渉は難航したが、事情を説明して了承していただいたことは感謝だった。
みなさんに知っていただきたいのは、その後のことなのです。 キャンプ地では事件を起こした生徒に対して特別な処分をせず(ご家族に学校に来ていただいて説明をし、弁償についても了解を得ていた)帰路もこの生徒はバスに乗った。
彼は往路の暴挙でバス内のボスになった気分でいたらしい。 復路のバス内でもボスぶりを強調すべく、他の生徒にたいして「その席をどけ」と命じたりしていたが、ある生徒に「そこをどけ」と言ったときに、座っていた生徒が「なんでお前に言われなきゃいかんねん」と言い返したそうだ。
言い返した生徒は小柄で弱々しく普段もおとなしい生徒だった。 その瞬間、文字通りその瞬間にバス内の雰囲気ががらりと変わってしまった。
それまで、ボスのようにふるまっていた生徒は、その瞬間におとなしくなって、自席に戻り、その後も嘘のようにおとなしい生徒になってしまった。
それを目撃した教師は生徒指導タイプの人ではなく、気弱なタイプの人だったが「本当に猿山のボスの交代劇を見ているようでした」という。 だが、この場合、抵抗した生徒が変わってボスになったわけじゃない。 彼が勇気をもって抵抗しただけなのだが、一瞬に事態が変わったということらしい。
本人にもご家族ともよく話し合ったが、その時の彼はすでに反省を繰り返しているようだった。
退学にすべき行動だが、ここで彼を退学処分にしては、彼の人生に大きな影響を与えてしまう。
充分に反省しているようだし、他の生徒たちからも大きな非難も聞こえない。そのご彼はごく普通の生徒となって卒業したことは言うまでもない。
毎日のように大きな問題と向き合って過ごしたころが懐かしい。