中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

89お爺ィの愉しむ料理(124)

 琵琶湖の水位が昨日比2センチ増えたようです。

大きな琵琶湖ですから容易には増えませんね。

 今日は買い物日でした。丁寧でやさしいドライバーさんに感謝して、ついついたくさん買ってしまいます。妻の食欲がイマイチなので心配でもあり、作る気力が失われてしまいます。

 今日は買い物から帰ると、大きな白玉団子3個にコシアンを盛り上げた間食を食べたので「これでお腹いっぱいだから夕飯は食べたくない、ラーメンなら」という。

 夕食のメニューは決めてあったので、じゃあ、おかずだけでも食べてと言う事で、妻はおかずだけでした。私は、おかずをお代わりして食べました。

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 今夜は「肉じゃが」でしたが、牛肉200グラム、

じゃがいも大2個、玉ねぎ中2個、エリンギ2本、

エノキ茸一袋で作りました。

 他の副食も考えていたのですが、作りませんでした。こうして食材が残っていくのが心配です。

随筆自伝(86)私を守ってくれたのはだれなのか

         《ホームルームでの話し合い》

  生徒たちが近隣の人たちにご迷惑をかけたという問題を知って、その行為がどうしていけないことなのかを徹底して生徒たちと話し合おうと思った。

  全教室でホームルームを行い、生徒と話し合った。生徒だけを対象にするのではなく、教師たちを意識してのホームルームを一週間続けたのだった。

テーマは、社会で生きていくためのマナーについてだった。

《その1》

学校と、近隣との関係を考えよう。君たち生徒は、無人島に上陸したつもりで好き勝手をしているが、ここは無人島ではなく、以前から住んでいた人たちがいたのだ。 先住民たちは静かな生活を楽しんでいた。 君たちは、先住民と仲良く暮らさなければいけないのです。 まずは、先住民の居住区に立ち入らないこと。 路地というのは、私有地であって、公道とは違い勝手に立ち入ることが出来ないところなのです。 路地でタバコを吸うことで、住民たちは火災を恐れているのです。

《その2》

店に買い物に行くとか、食べに行くのは自由です。 しかし、店先に大勢が立ちならんで漫画本を読み、狭い店に大勢が押しかけることもよくない。 食堂で、ほかのお客さんがいるのに大声で騒ぐと迷惑が掛かりますからしないようにしょう。 大勢で押し掛けると、ものがなくなった時に万引きを疑われる可能性があるので、気を付けよう。 君たちは、商品を買うとか食べるとかというのは客の権利だと、考えているかも分からないが、場合によっては、店の側にも嫌な客を断る権利があることも知っておこう。 もうこの店に来ないでほしいなどと言われないように心がけよう。

《その3》

 食べ物や、飲み物の袋や空き缶を道に捨てないようにしよう。街が以前より汚くなったと言われないようにしよう。今後は、定期的にご近所の掃除をしよう。

 たったこれだけの話を、時間をかけてじっくりと話し合った。 「自由や、勝手や」と叫ぶも生徒もいる、「客の権利や」という生徒もいる。全クラス、一週間をかけたホームルームは成功だった。

         《地区の各グループの役員たちとの集会》

 ちょうどホームルームを開いていた週に、板宿地域町内会代表、各商店街代表、青少年育成会代表が公民館に集まるので、理事長と校長に参加してほしいと連絡があった。約二十人の役員たちが集まっていた。

 まず、どのような学校なのかという質問だった。学校の説明を詳しくしたうえで、

どうかご理解をいただいて、応援してくださるようにとお願いした。 かなり厳しい質問やら、指摘を受けたが誠意をもってお答えした。やがて、次のように言っていただいた。

『よくわかりました。あなたがやろうとしていることは大切なことだと、充分理解しました。 しかしね、学校がなければ私たちが迷惑を受けることがないのです。それが現実であり事実です。しかし、すでに生徒に対して指導をされているようなので、わたしたちは待ってあげましょう。一年間様子をみましょう。一年経っても同じ状態だったら、この町を出て行ってもらいますよ。いいですね』

 リーダーの一言で、締め括ってくれた。

                        《大事件が発生してしまった》

 心配していた事件が起こった。広域の中学校の番長と、それを取り巻く生徒が多いだけに懸念していた事件だった。 この事件は、その後も語り継がれる事件ではあった。

 その日の前日に、近くの板宿駅で、ある公立高校の生徒たちと、こちらの生徒たちでメンチの(にらみあい)切りあいがあったらしい。そして、近くの空き地で「タイマン」(一対一の喧嘩)をやったらしい。どちらが勝ったのかは不明だが。

翌日に、その公立高校の生徒が、昨日のことには全く関係のない、こちらの生徒を空き地に連れ込み、殴る蹴るの暴行を加えたのだった。(これらのいきさつは後に知ったことだが)

 わたしはその日、教師たちに

『今日のようにうっとうしい天気の日は、問題が起こりやすいので十分注意するように』

と、指示を出していた日でもあった。

 二時限になっても、あるクラスの生徒が戻ってこないと、担任が言う。

『どうもおかしい様子です。単なるサボりじゃないようなのです。全体がざわついています』

 事情を知っていて、黙っていた生徒が落ち着かないそぶりをしていたようなので、問いただしてみると、手に棒切れみたいなものをもって飛び出した生徒が数名、公立高校に向かっていったということが分かってきた。

 さっそく、公立高校に電話をしてみると、先方からも電話しようとしていた矢先のようだった。

『そちらの学校の生徒が五人、こちらの職員室に入ってきて、生徒の写真集を見せてくれと、迫っています。どうしてかと訊くと喧嘩相手の顔を確かめたいからだというのです。とりあえずは第一報です。またお電話します、またのちほど』

という。

 こちらからも教師三人が公立高校へと駆けつけた。一応の決着はついたが、二十名もの生徒が他校に押しかけ、五名が職員室に入って写真を強要したというのは異常な出来事であった。

だが、ものごとを単純に考える五人にとっては何の罪悪感もない行為だった。それ故に、その行動が間違ったものであることを五人に説くのにかなりの時間を必要とした。

  この事件の処理を誤ると「大事件」となり、学校間の対立も深まることになる。

結果的には、公立校の教師が、加害者の生徒数名をこちらに連れてきて、被害を受けた生徒に謝罪してもらい、治療費も負担するということで、円満解決に至った。

露のウクライナ侵攻2年で今後は?

 こんな事があって良いのかと思える露のウクライナ侵攻から2年が経ちました。

 多くの国からの支援を受けてここまで善戦してきたウクライナ軍も最近は露軍に押され気味に見えます。

 支援している国々も、負担増に腰が引けてきたようです。アメリカは在庫の旧型ミサイルや弾薬、装備を使い果たして、これからは新型を使うようになり、国民負担が問題となりそう。

 どこで線引するのかが問題ではあるが、ロシアの侵攻が成功した形で終わることになりそうだ。

 歴史的に見て、中国とロシアは領土拡大を続けてきた国なのだから、今後はいつか(中国とロシア)の国境争いが激化するだろう。

 その時、どちらが勝つかは火を見るより明らかですね。タイミングにもよりますが。

 人間は馬鹿な動物ですね。戦争に加担しない日本が一番賢いのですが、それもいつまでもつやら。

 

89お爺ィの愉しむ料理(123)

 琵琶湖の水位はどこまで回復したのでしょうか。

とても気になりますね。梅雨になって雨が降るかどうかも分からない灼熱時代になっているので、気象状況も不安です。

 雲の中に住んでいるような(雲上人ならぬ雲中人)の気分です。

 めったにないことですが、今日は洗濯もしなかった。

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 今夜は焼きそばを作りました。最近はご飯を控え目にしている妻も(美味しいね)と完食しました。

 キャベツともやしと豚薄切りだけですが、キャベツを多く使って盛り沢山。

随筆自伝(85)私を守ってくれたのはだれなのか

《生徒が、この学校は、普通の学校と違うのだという意味は》

新人教師たちに向かって一期生たちが 「この学校は、普通の学校と違うのだ」 となんども繰り返した言葉には、学校への深い愛情と誇りがあったからだったのだ。

新任教師による管理主義の学校になることを彼らは恐れていた。小学校から中学校まで管理主義の中で、僕らは落ちこぼされたと思っているのだから。

生徒たちは、生徒と教師とで話し合って作っていく民主主義の学校作りの中に希望と誇りを見出していたのだった。

 ある教師の名を挙げて、あの先生の言うことは理事長の言っていることとは真逆だと、その発言の内容を伝えに来た。

 その先生は職員室の中で

『あほばっかりやから、普通の学校とは違うよな~』と、平然と言っていたらしい。

『当たり前のことを、理念、理念と強調するのが分からんよ』と言っていた新任だった。

彼は、すでに心の中で生徒を裁き始めていた。 生徒から学ぼうとする姿勢を忘れているようだった。

 教師が生徒を裁くのは、最も悪いことだった。 学校規則を、生徒を裁くために使うことが出来ないように、わたしは学校をつくる際に「校則」をつくらないようにしたのだった。

 管理主義の中で育った教師は、ツッパリ生徒を前にすると、強気発言とは真逆に逃げてしまう。

私は生徒を裁くために教師が使うであろう「規則」をたった一つしか作らなかった。

 「人の権利を奪わないこと」 という、規則しかない。だから、理屈だけで生徒を見ている教師は、対応の仕方が分からないのだ。裁くための規則がないのだから。

 肩書がないと仕事ができない人は世の中にいっぱいいる。「部長、課長、教師」も肩書だと思っている人たちだ。

 仕事ができる人は、肩書がなくともやっていける、面接の時から理屈では勝っていた人も、大勢のツッパリ生徒の前では理屈は役に立たないことが日を追うごとにはっきりしてくるのだった。

 

《 二期生の入学式のこと 》

神戸文化ホールという大会場を借り切って入学式が行われた。 来賓の方々も予想を覆す立派な入学式に感動されていた。 来賓の多くは、入学式はかなり荒れるのではないかと案じていたそうだが、予想に反して、一人一人が立派にふるまったのだった。

ところが、翌日から様相が一変した。 制服を着用せず、応援団のような学ランをきて登校する生徒が三十名以上もいた。 入学式の日に、普通の生徒ばかりだと安堵していた新任教師たちは、それを見て怯え始めたのだった。 そういう生徒たちに、どのように対応してよいのか分からず、生徒と目を合わせることもできない教師もいた。 

どこの中学校の教師も番長たちに囲まれては対応に苦慮することだろうが、神戸暁星では

やんちゃなタイプの生徒を権力で抑えこもうとしても、規則がないから裁けないので教師の目つきが悪くなっていったのだった。

この学校には制服はあっても、制服着用が規則になっていないのだから裁けない。

 

《ご近所との軋轢続々と》

 新校舎で授業が始まって三日目の下校時だった。 隣が「第一生命」だったが女子社員がきて

『この学校の生徒さんたちだとおもいますが、お客さまのためにと玄関に置いてある傘を持っていってしまいました』

 この苦情が、開校以来、初めてのものだったが、翌日からは近隣からの苦情が相次いだ。これまで小中学校では、校門を入ると枠内に収められて、学校の外に出ることが出来なかったが、いまは一歩外に出るとそこには広い世界が広がっている。 鎖につながれていた犬が自由を得たように周辺の住宅の路地まで入り込み始めたのだった。  

《生徒たちは、かなりの広域から通学していた》

 最も遠いところでは、滋賀県近江八幡市からだった。片道三時間かけて通学し、彼は四年間、無欠勤無遅刻で卒業時に表彰された。

高槻市箕面市吹田市、西宮市、明石市加古川市姫路市宝塚市尼崎市などから通う生徒たちが、神戸市の生徒たちと半々だった。それだけに、それまでの九年間と違った解放感があったのだろう。

 一つの対策として、休み時間に教師が街を巡回することにした。 路地に入ってタバコを吸う生徒もいたが、それを見た教師が知らぬ顔で通り過ぎたのを、生徒が見逃さなかった。狡い教師とみなしたのだった。

 教師たちがカッカするほど生徒たちは楽しく、面白がり、夏目漱石の小説「坊っちゃん」を思い出す様相だった。

 もちろんすべての生徒ではなく、五十人ほどの生徒たちが、次から次へと毎日のように苦情が持ち込まれる行為をするのだった。 比較的静かだった住宅地が彼らのために乱されるという苦情が相次いだ。 学ランを着た生徒が横断陸橋の階段に座っているだけで住民たちは怯えてしまう。 

 『あんな生徒は退学にしてください』という苦情も来る。 社会が彼らに「悪者」というレッテルを貼り始めたのだった。

 生徒たちと話してみて感じたことがあった。 小中学校で、教師に殴られた経験のあるものは手をあげてほしいと。 全員が一斉に手を挙げた。

『それは、本当か、殴るような教師はごく一部の教師ではないのか』

と訊くと

『何にも知らんのやナ。 殴らない先生は何人だったと訊くほうが正解やのに』

『センコーはな、みんな自分中心やネン。自分の都合が悪いと簡単に生徒を殴るネン』

『そうか、ほかの生徒たちにも聞いてから、認識を改めるわ』

 他のクラスでも同じことを聞いたが、どのクラスでも同じような答えを聞いた。私は、この学校では決して生徒に暴力をふるってはならない、生徒に暴力をふるった教師には即日退職してもらう旨の契約だった。

生徒にすれば、この学校では殴られないことに安堵しているかのようだった。 

家庭教育、学校教育の現場で間違った対応をしていることに気付いていない人が多い。 殴って、根性をたたきなおしてやるという主義は間違いなのに、それにも気づいていない。人間は一人ずつ違っている。男女の細胞が混じりあったときから人間の誕生が始まる。 子宮の中で成長する過程で一人ずつ違って当たり前なのだ。 例えば、男女のどちらかに胎内で決められる前に、すべての人に(女性器)が作られる。 その後に男子になる人は女性器を縫い合わせて男根が作られるのです。 だから、すべての男性の性器の裏側には女性器を縫い合わせたような跡が残っているのです。 人間は男と女だけだと思っている人が多いが、胎内でいる間にさまざまなことが起こっていて、その結果として誕生するのです。 人を見るとき、その違いを見定めることが大事だということが分かっていない人が少ないのです。 人を区別してみてしまってはいけないのです。人間はだれもが公平でなければならないのに、それが理解できない人が多いのです。

小、中学校で、教師が生徒を殴るなどと知って、本当に驚きました。 私は自分の子供を殴ったことはありません。 一度だけ、長女をひどく叱ったのは、友達に石を投げているのを見た時でした。

当時のことを長女が覚えていて「あの時は辛かったけど、パパも板の上に正座して一時間も叱っているのだから耐えられた」と言います。

         

89お爺ィの愉しむ料理(123)

  まるで梅雨のように鬱陶しい日が続きますね。

早くも熱中症の注意などをニュースで報じられていますが、妻は寒い寒いと言っています。

 冷たい食べ物を避けているので、体が暖まるものをと考えて作っていますが私の場合は、今夜も食べ終わると額から汗が噴き出しています。

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 今夜は昨日の残り物が中心ですが、妻は厚揚げ平天、豆腐などを嫌いますので、別の鍋で温めて作りました。豆腐をいれるというと、豆腐をいれると匂いが移るからという。

 よく考えると、妻は身体に良い食品を避けているみたい。じゃがいもと大根だけ食べてもとごぼう天を入れましたが食べませんでした。

 もやしのナムルは美味しいと言って食べてくれましたが。ごま油がいくらか身体に役立つことを願っていますが。

随筆自伝(84)私を守ってくれたのはだれなのか

《ローマの二泊三日》

彼らはいきいきとしていた。 アムステルダムとは違い暖かだった。 若者たちにはローマは肌の合う町のようだった。 治安の悪いローマだが、彼らは自由行動を堪能したようだった。 わたしに心配をかける生徒はいなかった。 引率ではなく、一人前の大人として信用し、自由行動させたことで、彼らも自覚して行動したのだろう。集まるたびに意見交換をし、感想を述べあっていた。

独りの生徒がタクシーにバッグを置き忘れたという。 バッグの中には財布も入っていた。治安の悪いローマで置き忘れて出てくるはずはないだろうが、とにかく警察に届けようと松田先生を警察に行かせた。

その夜、警察からホテルに電話があり、次の予定地のジュネーヴのホテルに送ってくれるという。正直者のタクシードライバーが届け出てくれたらしい。

《スイスのジュネーヴについた夜》

ツアー会社の計らいで、今回のツアー客のほぼ全員が一室に集まり、ゲームを楽しんでいた。中年の女性たち、大学生など八名と私たち十名と添乗員たちだった。

 簡単なゲームをした後で、それぞれ自己紹介をすることになった。その時に中元君が立ち上がり、

『僕は中本と言いますが、それは日本名です。僕は韓国人で本名は李と言います。今度の卒業旅行では、パスポートを取るのに難儀し、学校にご迷惑をかけてしまいました。 僕らはみんな、落ちこぼれなのです』

 ここまで彼が言ったときに、一人の女性が

『そんなことまで言わんでもいいのよ』と、たしなめるように言った。だが、彼は話をつづけた

『おばさん、本当のことなのです。 僕らは中学校の時にやんちゃをして、先生を困らせたり、ものを壊したり、喧嘩ばかりして人に迷惑をかけてきたのです。 ここにいる理事長が作った学校に拾われたのです。 何年か後には、ぼくが理事長をヨーロッパに連れてきてあげたいと思っているのです』

 彼の言葉を聞いて涙ぐんでいる人もいた。

すべて本当のはなしなのだ。

私はジュネーヴでは、レマン湖のほとりを歩き、橋を渡ってデパートにも行った。

 ジュネーヴからパリまではフランス国が自慢の超特急に乗った。日本版新幹線だ。

ジュネーヴの駅で、彼らは一つの発見をした。 列車の到着を告げるアナウンスもないし、危険を知らせるアナウンスもない中で、列車が滑り込んできたのだった。 駅員の姿も見えず、発車する際にさえ、発車ベルの音もなく列車が出ていく。 

『先生。ヨーロッパでは、自分のことは自分で考えないとあかんのやなぁ。日本だったら、いろいろ案内アナウンスもあるけど、ここでは何もないよ』

 百聞は一見にしかず。 修学旅行で彼らは、身を持って体験していった。 彼らには、生涯を通じるようなおおきな財産になったことと思う。

 パリの最後の午後だった。中本君と一緒に歩くことになった。

私はパリには詳しいので歩きながら案内していた。

 ウインドウの明かりが灯りだしたころ、彼は一軒のシューズ店の前で足を止めた。

『先生、あのブーツを見てきていいですか』

『いいよ、自由にね、気を使わないでいいよ』

 彼はブーツを履いてみて、

『先生、どう思いますか』

『なかなかいいと思うよ。バーゲン中だし、値段も手ごろだと思う』

『僕もそう思いますけど』

と言っていながら、彼は店を出た。

『すみません、もう一度履いてみてもいいですか』

と店の中に入ってきて、しばらくして出てきた。

『気に入っているのと違うのか。だったら買えばどうだ』

『実はお金が足りないんです』

 生徒同士にも、金の貸し借りは禁止事項としていたのだが、彼のブーツへの執着ぶりを見て二万円を貸した。

 帰国した翌日に職員室に入ってきた彼は、山下校長にお土産を渡したあと、わたしのところにやってきて、

『先生、ずいぶんお世話になりました。ありがとうございました』

 と、ていねいに一礼しながら、机の下から私に二万円を返したのだった。大人でもできない配慮だった。

 一期生は、卒業までの四年間、一度も警察から電話がかかってくることはなかった。彼らなりのけじめをつけていたのだろう。 手作りの教育が実った一期生だった。 修学旅行の想い出は多いが、いまはまだ開校二年目のはなしを書いているのだから、この辺で止めよう。