思い出したので数年前にさかのぼってかくことといたします。なにしろ私にとって記念すべき出来事でもあるのですから。
《第40回・海外日系人大会に参加する》
1999年5月12、13、14日の三日間、東京の九段会館において、世界各国から約250名の日系人が参加して開催された。
オーストラリアからの参加者は9名(シドニーから5名,パースから4名)であった。毎回シドニーの保坂氏が参加されていたのだが、私が全豪日本クラブの会長という立場もあり急遽参加することにしたのだった。
大会を主催するのは、財団法人海外日系人協会という外務省の外郭団体であり、外務省OBがその多くを占めている。後援は、東京都,全国知事会,国際協力事業団,国際交流基金,経済団体連合会、日本商工会議所、日本貿易振興会,国際観光振興会であり、すべてお役所的団体である。
《熱のこもった討議の代表者会議》
第1日目は代表者会議だった。ブラジル,アルゼンチン,ペルー、ウルグアイ,コロンビア,ベネズエラ,パラグアイ、アメリカ(7地域),カナダ、メキシコ、フイリピン,マレーシア,韓国、オーストラリアの中から35名が代表者として選ばれた。代表者以外の参加者もオブザーバーとして参加している。
全員が自費負担参加だから、誰はばかる事もなく発言でき、中には主催者(政府側)の気に食わぬ発言もあって、官僚が気色ばみ、緊張が走る場面もしばしばであった。
参加者の中には、観光を兼ねている人も少なくないが、私のように、とんぼ返りでの参加者もかなりいたし、地球の反対側からこの大会のために帰国したことで参加者の意欲のほどが伺えると思う。その熱意だけでも、ただの大会ではなかった。
九段会館会議室で5月12日午前10時から代表者会議が行われた。立派な会議室には、ロの字型にテーブルが配置され、その一方に主催者側の(財)海外日系人協会の柳谷理事長以下理事4名,外務省からは移住政策課福川課長、国際協力事業団からは移住企画調査課小松課長などが列席された。
自己紹介と各国の事情説明が行われた。この発表の中で、各国の事情を窺い知ることが出来たし、それぞれの国において違った問題を抱えている事が理解できた事は大きい。
会議室には、オブザーバーの席も多数(150席ぐらい)用意されていた。
大会の本題は「転換期の海外日系人社会」であり、(1)進む世代交代(2)日系社会を維持発展させるために(3)日本との絆の一層の強化を求めてだった。
国策として約130年前から移民として他国に移り住み、数々の困難の中で今日の日系人社会の評価を築き上げてきた歴史を顧みるときに、これらの問題は重要なものである。
外国にあって、いかに日本人としてのアイデンティティを確立するかと言う問題であった。日本人としてのアイデンティティの確立のためには、日本語による日本文化の理解が欠かせず、南米諸国では第2言語として日本語よりも英語を重視する傾向がある中で、いかに日本語教育を進めて行くかが大きなテーマとなった。
日本人は、他の国の人達以上に現地に同化しやすい人種だと各国からの参加者たちから指摘があった。中国人などは世界中に住んでいるが、日本人ほど現地に同化していないらしい。現地に同化するということは悪い事ではなく、その国に様々な貢献をしていて評価されるべきことである。だが、外国から、祖国を支えるという意味では希薄になっているという指摘があった。言いかえれば、愛国心が希薄なのかもしれないが、祖国が移民を棄民扱いして来たことと無関係ではない。会議の内容はあまりにも多岐にわたっているので省略する。
第1日目の締めくくりはグランドパレスホテルに移動して開かれた「海外日系人協会理事長主催」の歓迎レセプションだった。政府や国会議員も多数参加した。
第2日目の代表者会議は予定を早めて開始される熱心さであった。正午までに、前日の内容をまとめ「政府に対する要望書」を仕上げなければならないため充分な討議が出来ないまま「要望書案」を取りまとめる。主催者側の意見もあり、要望書がうまくまとめられないという一面があったのは残念である。
《天皇、皇后両陛下ご臨席の下の式典》
午後1時半から、九段会館ホールにおいて全体会議が開かれた。入り口には空港などで見られる金属探知機が2台設置され、チェックを受けての入場である。
全体会議は「要望書案」が読み上げられ、それを全体会議で了承すると言った形式だけのものである。質疑応答の場も設けられていないのは日程が混み合っているからだろうが不満を抱く参加者 もいたに違いない。
午後3時40分、天皇、皇后両陛下をお迎えして式典が開催される。両陛下のご臨席は、この大会が始まってから40回目で初めてのことだそうである。
私はオルコット美砂子さんとともに最前列に座った。ステージ上の両陛下がお座りになった側だったために両陛下の正面となった。約10メートル先の両陛下を前にして緊張している自分を感じた。私の生まれた時代の影響なのか、それとも両陛下の持っている雰囲気がそうさせたのかはわからない。わたしはどれほど偉い人に会っても緊張しないのだが10メートルを隔てているにもかかわらず緊張した。
《総理官邸へ行く》
式典終了後、バスに分乗して総理官邸へ行き「総理主催レセプション」に出席する。野中官房長官も同席される。小渕総理の挨拶はユーモアを交えた楽しいもので会場の雰囲気をほぐし、一同、美味しい料理に舌鼓をうった。
第3日目のスケジュールは、10時からバスに分乗して皇居の特別参観をし、正午からは憲政記念館における衆参両院議長主催のレセプションに参加、靖国神社に自由参拝し、NHK見学、夜は東京都知事主催のレセプションに出席してすべての日程が終了する予定で、その夜の石原都知事主催レセプションで、参加者を代表して私が挨拶することになっていた。
《外務省での会議に出席》
ところが、急に外務省での会議にお出席を求められ、代表者の中から15名が指名されて出席した。とても広い円卓の会議室で、私にとっては初めての体験と言ってよい会議場だった。
代表者と外務省の大使経験者10名による会議だった。この会議が盛り上がり予定を大幅にオーバーしたために、都知事主催のレセプションの開会に間に合わず、代表者挨拶ができなかった。1か月前に石原知事が当選したばかりだっただけに、親しく話す機会を失ったのが残念だった。
レセプションが終わった後、外務省から明日、皇居内御所でのお茶会に招待される旨の連絡を受けて驚く。
外務省での会議に参加した人たちが御所に招かれたようだ。40回の大会の歴史の中で初めてのことだと告げられる。