中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「オナラ残酷物語」(3)

JA・NEWS新聞 2010年3月号 「オナラ残酷物語」(その3)
 
連載 第3回
「オナラ残酷物語」(その3)
 
 わが人生最大のハプニングが起こったのは1999年5月のことだった。5月12日から3日間、東京の九段会館で「海外日系人大会」が開催された。参加者は、北米、南米各国など16カ国215人だった。
5月13日には大会史上初めて天皇、皇后両陛下がご臨席された。私は前から3番目に座っていたのでステージの上の両陛下とは10メートルも離れていない。前日には官邸で小渕首相と握手もしたし、多くの政界人とも会ったが緊張をしたことがなかった。それなのに、10メートルほど離れた両陛下の前では、これまでにない緊張が私の体を固くしていた。オーラという言葉が適当なのかどうかは知らないが、身の引き締まる思いというのを実感したものだ。
 ハプニングは続いた。翌日、両陛下から代表者20名が皇居内の「御所」(両陛下のお住まいの場所)への「お茶会」に招待を受けたのである。予想もしていなかった出来事だけに、誰も正装とは言い難い服装でお迎えのバスに乗り込んだ。バスは皇居の正門もフリーパスで通り過ぎ皇居内を走る。外から見ている皇居とは違う風景に戸惑いながらも宮殿前を過ぎ、やがて皇后陛下が蚕(かいこ)の世話をしているなどという記事を見かける場所を過ぎて御所の前に止まった。「カメラはバスの中に置いて行くように。それから今日は両陛下が皆さんと握手をされますが、国内では首相といえども握手をしないことになっております。あなた方は外国人としての扱いで特別なご配慮です」という説明を受ける。
 玄関に入り、みんなが緊張している様子がビンビンと伝わってくる。誰からともなく「トイレはどこですか」と一同トイレへと向かう。トイレの中まで分厚いじゅうたんが敷き詰められている。
 廊下を進むと、両陛下が迎えてくださった。一人一人と丁寧な握手をしてくださる。美智子皇后と握手するときには、どんな具合に握手すればよいのだろうかと一瞬戸惑ったが、皇后陛下はぎゅ~っと力強く握ってくださった。羽二重もちのような柔らかい手だった。一同は、天皇陛下皇后陛下をそれぞれ囲む形で話すことになった。私は約一時間と少しの間に5分間以上は話したように記憶している。テレビでよく見かける園遊会のようにあらかじめ質問される人と内容が決まっているわけではなく、ごく自然に両陛下と会話ができる機会であった。両陛下とも皇太子、皇太子妃としてパースを訪れたときのことが話題になった。聡明(そうめい)で記憶力の良いのに驚かされたものだ。
1時間以上も両陛下を囲んでの立ち話なので、いつもの心配事が起こりそうになってきた。部屋の外は、昭和天皇が「雑草という名の植物はない」と大切に育てられてきた庭があり、自由に散策してもよいことになっていたので、一人で外に出て庭を散策しながら、気持ち良く放出をした。
 帰る際にも、両陛下は一人ずつ握手をしてくださった。一生忘れることができない私の宝物となったが、御所での一発も今では楽しい想(おも)い出となっている。