中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「オナラ残酷ものがたり」(2)

JA・NEWS 2010年2月号(コラム)
連載 第2回
六甲庵独り言
「オナラ残酷物語」(その2)
 
パース在住の約14年の間に新聞社、雑誌社、テレビなどから多くの取材を受けた。西豪州ジャパンクラブや全豪ジャパンクラブの会長をしていたこともあったからだろうと思うが、毎年数件以上、全部で30件を超える取材を受けたものだ。しかし、これらの取材を受けた際に、どんなに正確に語っても、そのまま記事になるということは一度もなかった。そんな経験を重ね、しまいには「正確に書いてくださるなら」という条件付きで取材を受けても、やはり記事は面白おかしくなって掲載される。記者が私の条件をのみ、正確に書いたとしても編集者が読者に受けるように改ざんしてしまうのだった。新聞や雑誌のこの手の記事などは全部眉唾(まゆつば)ものだと言っても過言ではないと思う。
 ところで、取材に来るのはほとんど若い女性だった。我が家で2時間ほど話をした後に決まってヒラリーボートハーバー(ソレントキー)に案内したものである。我が家は海岸からちょうど1キロのところにあった。家を買う際に知り合いのオージーから「海岸線から1キロが、潮風の影響もなく、夕方の涼しい風の恩恵を受ける最も良い場所」とアドバイスを受けていたからである。ソレントはとても住みやすく治安の良い地域でもあった。フリーウエイを使ってパースまで約15分、この家の前は広大な芝生公園で我が家から海も見える。歩いて約15分でソレントキーに行けるので、毎日住宅街を回り道しながら散歩していた。グーグルの地図検索で当時の住所を入力すれば、いつでも「我が家」を見ることができる。
 さて、取材に来た若い女性記者をソレントキーまで案内するのだが、やはり「大和撫子(なでしこ)」の名残が残っているのか、私の横を歩かないで少し後ろからついてくる。いすに座っている分には発射口が塞(ふさ)がれているのでガス爆発はないが、運動するといつ噴射するか分からないのが我が身の悲しさである。要は先月号に書いたように病気のために「ゆるい」のである。私の場合は、スーという隠し芸のではなく、ブーまたは大爆発のバリというやつだから始末が悪い。
 案内のために歩き始めると爆発が起こりそうで気が気でない。何かと話をしながら、記者さんを横に並んでもらうように歩き方を緩めると記者も歩き方を緩めるのである。横に並んでいる分には、万一ガス噴射があっても多少は気が楽なのだが、後ろを歩かれると万一の場合まずいではないかと気を病む。ゆるい噴射口をなるべく締めて目的地まで持たせようとするが、我が意に背いてプッと出てしまう。一度出れば次があるのが分かっているだけに、なんとか横並びに歩こうと努力するが、大和撫子さんは協力的ではないので、やがて連発し赤面する羽目に。笑い話ではなく、私にとっては深刻な話である。たかが「屁(へ)」なのだが、されど「屁」であり、つらい悲しい「屁」でもある。