これまで、思いつくままに(あんなこともあった)を書いてきましたが、取り敢えず今回で終わります。
そのうちに(Ⅱ)を書くかもしれません。
そこで、今日は、
両陛下から皇居内の御所にお招きいただいたことを書いておきます。
既にご存知の方は、飛ばしてくださいね。
1999年に、両陛下から御所におあねきいただきました。
その年に「第40回日系人大会」に、オーストラリア日本クラブ会長として出席した。
四年に1回開催されるその集いに両陛下はそれまで一度も参加されたことはなかったようです。
その時は、九段会館において両陛下がお見えになりますと言うことで緊張したものです。
前から8列目辺りに座っておりましたが、それでも身体中が緊張していました。
前日に、総理官邸で小渕総理大臣と握手した時は、全く緊張しなかったのですが、、。
その夜、遅くに外務省から連絡が入り「明日、御所にお招きされていますので、平服のままでよろしいから」と言われた。
招かれた人数を忘れていますが、18人だったと思います。
小型のバスに乗って、二重橋を渡り、検問で止まることもなく、皇居前を通過してなお奥の方に走ったところに「御所」があった。
カメラの持ち込みは駄目でした。
その時、外務省の担当官から次のように言われました。
「今日は特別に両陛下が握手して迎えて下さいます。
原則的に両陛下は日本人と握手をしないことになっておりますが、本日は皆さんを外国人としてお迎えになります」と。
車から降り、御所の玄関を入ると、両陛下が玄関まで出迎えて下さり、1人ずつ握手して下さった。
その時の緊張感は表現出来ません。
若い時からのミッチーフアンでもあり、皇后陛下なのですから。
私が、そっと差し出した手を、ギュッと美智子陛下は握ってくださいました。
慰問に行かれたときなどは、握手はしていないのですね。
だから、握手はとても特別な計らいなのです。
よくニュースで見る部屋に通され、最初は両陛下を参加者が丸く囲んでいますと両陛下が近づいてこられて一人一人に質問されます。
私の場合は5分間以上両陛下と語らいました。
未だ皇太子夫妻だった頃にパースに行かれたことがあったので、パースの現状を何度も質問されました。
その後、半数が天皇を囲み、半数が皇后を囲む形が繰り返されて、何度も親しく会話が出来ました。
その距離感は手が届くほど近いものでした。
1時間あまり、素晴らしいひと時でした。
今でも当時の状況がくっきりと残っております。
皇后陛下と二人きりでお話しが出来る機会もありました。有意義なひと時でした.
あのときの参加者の中で、日本に帰国しているのは私だけです。
アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ペルー、カナダ、メキシコ、フィリピン、などから3世の人達ばかりでしたから。
和気藹々の集いでしたからパラグアイから来ていた3世が天皇陛下に向かって「パラグアイには美人が多いですから、ぜひともパラグアイにおいでください」と言いましたが、陛下は笑っているだけでした。
現在、国内で平成天皇、皇后陛下と握手したのは私一人だけでしょうね。
唯一の自慢です。
♦私の経歴時系列で
経理代行サービス
養鶏業(事情があって)
縫製業
婦人服オーダーメイド
神戸ファッションソサエティ(KFS)会長5年
建築会社専務取締役(㈱中西興業)
神戸暁星学園理事長(高校.生徒数600教師50)
カナダ移住
オーストラリア移住
西豪州日本クラブ会長2期4年
全豪州日本クラブ会長一期2年
社会福祉法人「サポートネット虹の会」会長5年
2005年帰国
日本がん楽会会長(2007年~)