中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(35)私を守ってくれたのはだれなのか

《有為朗か!》

『えっ向いの家? ありがとうございました』

向かいの家?? ここなの?? 母はどうしているのだろう。何と言おう?

表札を確認すると祖父の名が書かれている。ガラガラと引き戸を開け

『こんばんは、瀬古よしえさんのお宅でしょうか』

玄関を入ってもだれの姿も見えないのに、突然に

『有為朗か』と大きな声が聞こえた。そして、祖父が姿を見せて

『有為朗か、大きくなったな! よくここがわかったな。まあ入れ』

義祖母と母の義弟とその奥さんもいた。

《私はどこへ向かえばよいのか》

 これも人生の一つの岐路だったとおもう。人の一生にはなんども、いくつもの選択肢があらわれる。どれを選んでも正か否かは、それは結果論でしかない。

 まだ母とも会っていないし、何も考えていない。ひたすら長い年月のあいだ、自分で描いてきた母親像を、脳裏に刻んで生きてきたきがする。それが、もうすぐに実現するところまでこぎつけた、という満足感でいっぱいで、先のことまで考えてもいない。母と会って、その先どうなるのかも全く考えてもなかった。

今朝、ご飯を食べているときに、叔母から突然に母のことに話題を振られてから、まだ半日しかたっていない。叔母も神戸の祖父の住所などは知らないようだったのだ。

十八歳になった僕の姿を見て、母親に会わせてやりたいものだと、突然におもいつき「お母さんのこと考えることがあるか」と、つい口走ったのだろうかとおもう。

その一言にすがるようにして、叔母が思い出した二つの断片的な地名をたよりに、区役所の職員を煩わせて、この場所まで辿りついたのだ。自分の力で母をぐいぐいと引き寄せた感じがする。

夢を見ているかのように、ひたすら母を追い求めてここまでやってきた。映画やドラマの中で見られるような、感動的な涙の対面が間もなく起こるのだろうかと、一瞬だが考えていた。

自分のことでありながら、映画やドラマの世界に身を置いているかのような心地だったのだ。長い間もとめ続けてきたことが、じぶんの行動によって実現するところまで来てしまっている。母はどこに住んでいるのだろうか。直ぐにでも会えるのだろうか。

『あのなぁ』と、祖父が母の近況を話そうとしている。

『お前の母親は、再婚して京都のほうに住んでいるンだよ。これから電話して、すぐ来るように言うから、まあ落ち着いてこれまでの話を聞かせてくれ』

 

母の弟である伯父が電話で、母に説明している様子だったがよく聞こえない。電話をもらった母は気が動転して、話が長引いているようだった。ようやく電話が終わって伯父は

『すぐに行くからと言っていた。二時間ほどで着くと思うよ。本当に有為朗なのかと、何度も念を押されたよ。そりゃそうだろうな。何の前触れもなく、こんなことが突然に起こるなんて、だれでも疑うよな』

 祖父母と伯父夫婦の四人が、これまで僕がどのように過ごしてきたのかと、根掘り葉掘り質問しては、その返答に納得した顔をする。

祖父は話の中に出てくるいろんな人物に思い当たることが多く、自分の孫に間違いないと確信しているのがよくわかる。余計なことは言わず、順序良くこれまでの十八年間をはなした。

会話の中でいろんなことが分かった。

祖父はかなり以前に指物の仕事はやめていて、いま座っているところは、以前は仕事場だったところを改造したこと。

 ここにいる、おばあちゃんのことも、伯父さんのことも覚えてないだろうな。お前のお母ちゃんには一人の妹がいる。二人の母親はとっくに死んで、後妻に来てくれたのが、ここにいるおばあちゃんで、お前の赤ん坊のときから知っているし、三歳ぐらいの時に来た時にも会っているよ。そこの伯父さんは、お母さんから見れば腹違いの弟だ。叔父さんもお前の子供のころを知っている。ここにいる全員がお前のことをよく知っているということだよ。

瀬古家の詳しい紹介をして、僕の気持ちを落ち着かせ、この十八年間のすべてを聞きたいのだという。

『そうか、そうか。おまえも苦労したのだな。お父ちゃんが、あんなに酒癖が悪くなかったら、おまえもそんなに苦労しなくて済んだのになあ~。お父ちゃんはええ男やったんやが、惜しい男やった』

『おじいちゃん。さっき、今晩は、と入ってきて、瀬古よしえさんのおうちは こちらですかと言ったときに、直ぐに大きな声で有為朗かと言ってくれたよね。どうして僕と分かったの』

『そりゃ、わかるよ。初孫のお前のことを忘れたことなどいっぺんもないぞ。

元気だったら今年は小学校入学か、今年は中学生になるのだなぁとか、指折り数えていたよ。

先月はお前の誕生日だっただろう。もう十八歳になったのかとおもっていたし、どうしているのだろうか、どこにいるのだろうかとずっと案じていた矢先の今日だ。それに、瀬古よしえさんのおうちは、こちらですかと言うのは、お前のほかにはおらんだろう』

 

  ずっと思い続けてくれていたとは、とても嬉しい言葉だった。顔も見ないで障子越しに『有為朗か』というおおきな一声は、一生忘れることがないだろうと心に刻みつけた。

今里の叔母も、同じようにずっと気にかけてくれていたのだろうと、改めておもって感謝した。