中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(34)私を守ってくれたのはだれなのか

《とつぜん人生の転換が始まった》

翌朝、食事をしながら叔母が唐突なことを言い始めた。

 『ウイちゃん、お母さんのことをかんがえたことあるの?』と。

 物心ついた時から、絶対に身内のだれとも、母の話はしてはいけないと封じられていた。

言い出すことも、尋ねることさえも禁止事項だった。

 

 母を想わない子供なんているだろうか。母さえいてくれれば、こんなつらい思いをしなくて済んだのではないかと、これまで何度おもったことか。

育った丘の上の一軒家は見晴らしがよく心地よい。大阪湾の向こうの山並みを見ながら航行する様々な船を眺めて心を癒していた。辛いことは山ほどあったが、そんな顔を見せるだけで非難されそうな雰囲気だった。

辛いときは「門の鼻(かどのはな)」と言われるところに隠れて泣いた。納屋と門の鼻の間は二メートルもない。昼間は景色を見て心を癒す場所だが、夜になるとそこでよく泣いた。

母と子が連れ立って歩いている風景を見るたびに、母はあのような人なのかな、あっちの人のような感じの人なのかなと、ずっとおもい続けていた。

それなのに、お母ちゃんのことを考えたことがあるかと、叔母は尋ねている。どう答えようかと一瞬迷ったあと、やはり気を遣って

 『時々にはね』と答えた。叔母は

 『そうかい、省線国鉄になる前は省線と呼ばれていた)から見ても、あの辺は空襲でやられてないみたいだったけどな~』

と言いながら考えている。そして

 『海岸通りとかいうような住所だったと思う。そうそう神戸の林田区という所だったよ』

 聴いているうちに心臓が飛び出してくるようだった。どうしよう?もっと聞いてみようか、省線のどのあたりから見たの、林田区ってどこなのと訊いてみたかったが言えなかった。

こんな話をしていてもいいのだろうか。嬉しさよりも、これまで固く禁じられてきたことだけに戸惑いが先走っていた。叔母は十八歳になった甥を前にして不憫に思い、母探しの手伝いをしようと思ったに違いないとはおもうのだが、その時は、それ以上に踏み込んで話ができなかった。

 叔母には、お世話になりましたと、ていねいに礼を言い、母のことには触れずに、店に戻りますと言って家を出た。

 

 

生野区郵便局に行って)

歩いているうちに生野区郵便局があったので入った。本局だった。

角田家に電話をし、

『叔母の体調が悪いのでもう一日休ませてください』と連絡を入れてから、神戸の林田区役所に電話をしたいのでつないでくださいとお願いした。当時の市外電話はつないでもらって話せるようになったものだ。

『あのね、調べてみましたら神戸に林田区と言うのはなくなっていて須磨区編入されているようですが、須磨区役所でいいですか?』

『よろしくお願いいたします』

やがて須磨区役所の戸籍係とつながった

『どのようなご用件でしょうか?』

『母を探していますが、詳しい住所を知りません。林田区というのと、海岸通りというような地名と、名前だけしかわかりません。名前は瀬古よしえといいます。

祖父は伊勢出身だと聞いております』

『しばらくお待ちくださいね』

十分ほどして

『お待たせしました。たぶん間違いないと確信しております。現在は須磨区ですが元は林田区にあった海運通りにお探しの方がおられます。念のためにほかの区役所にもあたってみましたが、このような珍しいお名前は神戸市に一軒しかございませんので間違いないだろうと思われます。お名前は瀬古覚太郎さんです』

 詳しく住所を聞きメモして電話を切った。もうどうしていいのか分からなくなっていた。どぎまぎしていたし、心臓は躍っていた。これからどうすべきなのか、まったくもって判断がつかない。

ずっと心に刻み、探し続けていた人が、こんなにも簡単に見つかるものだったのか。店に戻って親方に相談すべきか、このまま行動を起こして神戸に行くべきか、運命の岐路はここにもあった。

 慣れない所へ行くのには、これほどにも手間取るものか。叔母の家を出たのは、話が長引いて確か九時頃であった。それから神戸の区役所に電話をするにはどうすればいいのか、うろうろ歩きながら考えた時間も長かったのだろうか。大阪なら詳しく知っているが、神戸の市街については無知だった。

とにかく大阪駅まで行って省線に乗り元町駅神戸駅まで乗っていっていれば、もっと早く目的地に着いたはずだった。

 電話で教えてくださった区役所の人に、その場所まで、どういう手順で乗り継いでいけばいいのかを聞いておくべきだった。頭がぐちゃぐちゃになって、冷静に訊けなかった自分のいたらさなさが腹立たしかった。

 三ノ宮駅に降り立って、市電の須磨行きに乗った。市電は街中を移動するには便利だし、観光客が乗り込んで街並みを楽しむには、もってこいの乗り物なのだが、急ぐ身には遅々として進まない市電にいらいらした。 車掌さんに聞いた目的の停留所にたどり着いた時には、秋の日差しが沈み始めていた。

何ごともそうだが、知っている人は知っているが、知らない人は知らないものだ。市電を降りた乗客に「かいうんどおり」は、どっちへ行けばいいのでしょうかと、三人ほどに聴いているうちに、誰もいなくなった。

 大きなお寺があり、その角に海運通りの名を見つけ、北に向かって歩いた。薄暗くなってきて表札が見えにくくなっている。

やがて、新聞配達所を見つけて中に入り、

『夜分すみません。このあたりに瀬古さんというおうちをご存じないでしょうか』

『瀬古さん? 向かいの家ですよ』

『えっ向いの家? ありがとうございました』