中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(158)私を守ってくれたのはだれなのか

                     《 [楽」とは、解き放つこと 》

 グループ名の「日本がん楽会」は、楽会を「らっかい」と読んでいただく。

「楽」という字には、楽しい、心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと、という意味のほかに、何ものにも規制されない、自由というような意味合いがある。織田信長の楽市・楽座もそこに由来する。

 がんを告知されると、うつ症状になる方がたくさんおられる。がんという病気が死と直結するかのように思うだけでなく、がんという病気の場合は、再発や転移という厄介な問題を抱えている。  

 治療すればそれで終わりという病気の場合は、時が解決してくれると思える。分かりやすくいえば怪我(けが)をしても日がたてば治ってくる。虫垂炎の場合も手術を受け、炎症しているところを取ってしまえば治ってしまう。

ところががんの場合は、治療を受けた後も再発するのではないか、転移するのではないかと心配し、夜も眠れないで、がんに心が奪われ囚(とら)われてしまう人が多い。

患者だけではなく医師も再発と転移には神経質になっている。がん患者が体のどこかに異常があって、それを医師に告げると、医師はまず再発とか転移を疑った検査をしようとする。「先生、転移は心配ありませんよ」と患者が言っても医師は「まず疑いましょう」と検査をする。

それほどがんという病気には「再発と転移」が医師にも患者の心にも、ひと時も忘れられないものである。これががんという病気の厄介な部分なのだ。

そのような囚われから、身も心も解き放ち、何ごとにも囚われない自由な人生をつくり出していただき「がん」を恐れずに、人生を有意義なものにしていただきたいという願いが「楽会」という文字に込めた私の気持ちであった。

「らっかい」というだけでも、多くの人々に通じる、そんなグループでありたいと願って名付けたグループ名でもある。実際に、多くの人は「らっかい」と言いあう。

グループの理念として「がんの正しい知識を学び、がんと向き合い、がん患者に寄り添って生きる」を掲げた。

がんという病と向き合いながらも、心は解き放ち、いきいきとした日々を生きてほしいと願ってのスタートだった。

        《再発・転移のこぼれ話》  

 患者だけでなく医師も再発、転移が頭から離れないようだと書いたついでに、一つの実話を書いておこう。笑えない話だが笑ってしまうような、そして恐ろしい話なのだ。

私と同い年の男性で、どちらか生き残った方が葬儀委員長になろうか、などと冗談を言い合う仲だったK氏の話である。

 彼は前立腺がんを告知され、いろんな治療の選択肢の中から兵庫県立粒子線医療センターでの陽子線治療を選んだ。彼が治療を受けた当時の粒子線治療は実験治療の段階だった。

退院1年目に再発だと言われ、兵庫県立粒子線医療センターから東京・八王子にある病院を紹介されHIFU治療を受けた。

陽子線治療を受けている部位は手術もできないし、もう一度放射治療を受けることも不可能になる。だから、手術でもなく、放射線治療でもないHIFU(高密度焦点式超音波療法、ハイフともいう)を紹介したのだろうと思う。

HIFUは強力な超音波を使って、前立腺を80〜98度の高熱で熱することにより前立腺の中のがんを殺してしまう治療法である。

彼はこの治療を受けてもPSA前立腺がんマーカー)が下がることはなかった。次第にPSAは上がり続け100を超えるまでになったが、自身も見かけも元気で六甲山を越えたところに借りている農園まで高級車で通い野菜作りなどを楽しんでいた。

ある日も農園の帰りに我が家に採れたての野菜を持ってきてくださった。その夜に、股間に強烈な痛みが出て救急車で神戸日赤病院に運ばれた。運ばれた先には、普段から診てもらっていて彼の病状に詳しい泌尿器科医がいたので安心したという。

しかし、検査を続けても、治療を受けても痛みは全く治まらない。そして6日間が過ぎた。医師から「Kさん、六甲病院のホスピス病室を予約しておきましょうか」と言われて同意したらしい。転院が今日の午後という朝になって、医師が念のためにと尿道検査をしたところ結石が見つかって、あっという間に治療が終わり、痛みも去っていった。

 もし、結石を見つけないままホスピスに転院していた場合を考えてみると恐ろしい。ホスピスではまさか結石を疑っての検査などはしないだろう。多分、モルヒネもあまり効果がなく、病院側も患者もひどい結果を待つばかりだったと思える。

 どうしてこのようなことになったのだろうか。泌尿器科医が彼の病状を知りすぎていたために、骨転移での疼痛(とうつう)と思い込んだ結果としか思えない。

前立腺は、骨盤に囲まれた場所にあり、がんが骨盤に転移する確率が高い。そして、その場合は疼痛が起こる可能性が高い。でも彼の話によると神戸日赤病院では検査漬けだったようだ。だったら、尿道結石をどうして見落としたのか、まったく解せない。

Kさんは、それから3年後に私が紹介した在宅医療医関本先生ににって看取(みと)られた。ご家族からも感謝され、葬儀では弔辞を読ませていただいた。

 このような医療側の思い込みが治療を遅らせるとか、治療の選択を誤るケースはほかにもある。

K氏の場合、粒子線治療の段階でのミスがあったかもしれないし、八王子にある病院を紹介されHIFU治療を受けたことがよくなかったかもしれない。また神戸日赤病院による尿道結石見落としなどは、医師の予測による検査が間違っていたとしか思えない。

 彼が医療について辛い経緯を何度も味わう結果となってしまったことは、気の毒としか言えない。

 これまでも書いてきたように、私はさまざまながん患者と接してきた。世の中にこのようながんもあるのだと思い知らされたことも多く、わたしと同じ前立腺がんでありながら、早々と命を失っていく人たちも多く見てきた。比較的治癒率が高いと言われる前立腺がん患者の場合も、悲運にも亡くなっていく人が少なくはない。