中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

箱根駅伝に感慨すること多く

第98回箱根駅伝を、じっくり味わった。

私が生まれる11年前からと言いたいが違うのです。

戦争などで中止された年もあったのです。

最初の大会は1920年に始まっています。

私は1934年生まれです。

長い歴史のある。日本で最も古い大会です。

一昨年の大河ドラマを見た方は覚えているでしょうが、あのマラソン金栗四三さんが関わって生まれた大会でもあります。

日本で最初に車ができた時、箱根を超えられるかどうかが大きな目安だったのですが、その場所を走って登る競争ですから過酷なのは言うまでもなくありません。

第5区の山登り区間をスイスイと走る選手は(山の神)とも言われたりします。

これまで多くの人山の神を見てきました。

3区から4区の国道一号線を何度か車で走ったことがありますので、見ていて懐かしい。

箱根は17年前に来るまで走りました。あの風景は今も変わりません。

さて、今日の駅伝ですが、青山学院大学がダントツの強さ(区間賞が3選手、その内の二人が区間新記録)でした。

ゴールインして、胴上げを繰り返しても、未だ2位のチームがゴールしていないという段違いの強さでした。総合優勝タイムも新記録。

監督の胴上げの時、重くて?高く持ち上げられなかったのも愉快でした。

青学の選手に、昨年の高校駅伝一区一位の選手が走っていましたが、全国にネットを張って有望選手を集めているのでしょう。

第一回大会(参加校は4校)から出ている早稲田大学が、十位に入れなかったのが残念です。

ずっと応援してきましたからね。瀬古選手の時も。

母親の旧姓が瀬古だもんでね。

早稲田の応援歌が好きでよく歌っていました。

野球も早稲田フアンでした。

十位に入れないというのも残念ですが、一方で新しい勢力が育ってきたということでもないあります。

青山学院大学は、素敵な場所にキャンバスがあって、昔は勉強ができなくっても格好良い男女学生が多かった。

いつの間にやら、文武ともに優れた大学に育っている。

駅伝の監督は、(私は大学時代は、真面目な選手ではなく、遊び呆けていたものだ。全く自覚の足りない選手だった)と述懐されています。

その言葉から推測するに、今大会で監督に選ばれて走った選手たちは、自覚のある選手ばかりだったのだろうとおもう。

他のチームでも同じことが言える。

自覚の足りないような選手もいくらか見受けられた。来年は、自覚を持って練習し、もっと優れた選手となって頑張ってほしい。

須磨学園や西脇工の名が出るだけで嬉しく思ったものだ。

都道府県の人たちも同じ思いで見ていたことだろう。