中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出あれこれ(9) 「アムステルダム」 (オランダ)

 2011~2012年にJA・NEWS新聞に連載したものをここに再掲載しています。
旅が好きな方には、古い話してあっても楽しんでいただけると思います。

  旅の思い出あれこれ(9) 「アムステルダム」 (オランダ)

アムステルダムの冬の朝

 アムステルダムには3回訪れた。強烈な印象を持ったのは最初の訪問で、私が創設した高校の修学旅行に生徒を引率していた。入学時に、生徒たちに、両親に負担をかけないで自費で旅費などをまかなえる生徒には修学旅行は海外を選ぶことができると約束していた。正確な数字を忘れたが8、9名の生徒が参加した。引率は私と担任の2人だった。生徒数が少ないと思われるかもしれないが、創立時の生徒はわずか18名だけだった(その後、在籍数650名となる)。

 1月の厳寒期であり、しかも数十年ぶりの寒波がヨーロッパを襲った直後だった。空港に到着したのは朝の7時ごろ、バスで移動を始めたのは8時を過ぎていたが外は真っ暗だった。小学校に電気が灯(とも)っていて授業が始まっているらしかったが、まるで夜学のような感じがした。

 観光ルートに乗ってバスは案内してくれる。木靴製作所(オランダでは木の靴が有名だ)へ行ったころもまだ暗かった。チーズ製作所に着いたころにやっと朝の明るさに出会えたが午前10時前だった。大きなチーズが棚いっぱいに並べられていた。オランダを象徴するような水車小屋見学、アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの家などを案内されたが、「アンネの日記」を読んでいる生徒がいなかったので、アンネが屋根裏に潜んで隠れて生活していた戦争当時の話を詳しく説明した。

冬は暗くなるのが早い

 ようやくホテルに落ち着いたのは午後3時を過ぎていた。その後の計画は全くない。生徒たちを集めて「これから午後8時までは自由行動、8時の点呼には遅れないように」と告げると「めしはどこで食べたらいいのか」と質問がある。ある生徒の「それぞれ好きなところで食べたらええやん」という一言で決まる。

 生徒たちがホテルを出て行って間もなく暗くなり始める。当時の日の出は9時前であり日の入りは5時前だったような気がしている。うかつにも日の出、日の入りを計算していなかったことに気がつくが仕方がない。ホテルの周辺を歩くと運河が張り巡らされていて、運河の周りに店が並んでいる。小さな店でライブをやっていたのでちょっと覗(のぞ)いてみた。あてもなく周辺を歩くが、運河沿いの街灯が風情を醸し出していた。

 生徒たちは、いくつかに分かれて行動したらしく、それぞれの感想が面白い。「3人でマクドを探して歩いて1時間かかってしまった」「あほやな~。ここまで来てマクドを食べるか。ホテルの隣のレストランでステーキにスープとサラダがついてXXギルダーだった」「え! マクドより安いやん」こんな会話で盛り上がっていた。初めての外国。英語もろくに喋(しゃべ)れない上に、全く知らない街での行動中に、生徒一人一人が何かを得ていく。教えても理解できないことが、経験することで理解が進む。それこそが私の狙いだったが、初日から効果が出てきたようだった。初めて飛行機に乗り、外人のスチュワーデスの案内に面食らい、「ワンコーヒープリーズ」が通じたと言って嬉(うれ)しそうにしていた生徒のことも忘れられない。

 後で調べて分かったことだが、彼らが食べたマクドナルドのハンバーガーは、その直前にオランダで初めて出店されたマクドの店だったのだ。

「飾り窓」に驚く

 このホテルは街の中心にあるらしく散策すると面白いよとガイドされたので、生徒たちが眠ってから、もう一度ホテル周辺を散策する。運河沿いに歩くうちに奇妙なところに出てきた。夜の10時を過ぎているとは思えないほどきらびやかで賑(にぎ)わしい。初めはそれが何かを理解できなかった。煌々(こうこう)と電飾に照らされた店が運河を挟んで何百軒?とある。

 やがて、それが「飾り窓」だと分かってきた。それにしてもすさまじい数に驚く。縦横に大きな一枚ガラス?と思われるウインドウがあり、その中に裸同然の女性が媚(こび)を売って客を呼んでいる。色気も何もない。ただの物売りに見える。私の若いころには日本にもまだ遊郭が残っていた。当時は教会に通う真面目な青年だったので、遊郭に行ったことはないし、その後に栄えたトルコ風呂にも、ソープランドにも足を運んだことはない。だが、アムステルダムで見た「飾り窓」は、文字通りウインドウの中で外の客に向かって媚を売る女体にしか見えなかった。後で聞くと、ドイツではもっとすごい飾り窓があるという。先進国とか、文明とかというものとこれとは別なのだろうかと考えてしまった。生徒たちが飾り窓の存在に気がつかないでよかったと安堵(あんど)する。

犬の糞と運河

 翌朝、散策に出かける。驚いたのは犬の糞(ふん)の多さだった。大げさではなく、いたるところ犬の糞だらけと言ってよい。しかし寒さのために凍りついているので、踏みつけて臭い思いをしないだろうから安心だ。昼間に、バイクに乗った清掃員が、道具を使ってひょいひょいと糞集めをしているのを見掛けた。世界中、ところ変わればいろんなものが見られるが、犬の糞集め専用要員が必要な国があるとは知らなかった。厳寒のために運河はすべて凍りついていたからだろうか、運河沿いにある家や店から生ごみ」が運河に大量に捨てられていたが、どうやって清掃するのだろうかと思った。オランダの美しい風景と、大量の犬の糞、運河に捨てられたごみなど、調和のなさは不思議である。

レンブラントの「夜警」

 翌日、生徒たちを担任に預けて私は一人で行動する。国立博物館に行くためだ。玄関を入ると2階正面にレンブランドの「夜警」が大きく見えてくる。その圧倒される光と影にしばし呆然(ぼうぜん)と見とれて動けなくなってしまった。この作品を描いた当時の背景などもよく知っている。しかし、そんな説明も知識も何も要らない。ただ「夜警」の素晴らしさに圧倒された。この博物館にはレンブランドの作品が200もあるが、私にとっては「夜警」がすべてだった。

ハーモニカ吹き

 とても美しいハーモニカの音につられて歩いていくと、国立博物館玄関左側にある地下道に入っていった。博物館の裏側に抜ける道のようだ。当時の私よりかなり年上だと思われる男性が一人でハーモニカを演奏していた。地下道で音色の反響効果もあって、とてもハーモニカ単独の演奏とは思えないものがあった。寒い時期である。地下道で風の通りもよい。それなのに、私は小一時間もハーモニカ演奏に聴き惚(ほ)れていた。片言英語で話をしながら彼とのコミュニケーションを楽しんだものだった。何十年もたった今も、あの時のことが映像として脳裏によみがえる。

 その後、アムステルダムには2度訪れたが、印象は薄い。多分訪問した季節と関係があるように思える。1月という、日の出が遅く日の入りが早い時期に来て損をしたと思ったのだが、結果的にはあの厳しい寒さのアムステルダムの印象だけが残っている。

 一緒に行った妻に印象を訪ねてみても「アンネの隠れ家」と運河に沿って散策したこと以外は覚えてないと言う。やはりアムステルダムは「運河」に尽きるのかもしれない。

 当時、東京駅はアムステルダム中央駅を模したものだと案内者に説明を受けたが、それは全くの間違いであることをここに書いておきたい。