中原武志のブログ

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連載・旅の思い出あれこれ(8)ホノルル

旅の思い出あれこれ(8) 「ホノルル」 アメリカ)
 
ハワイ・ホノルルには回数を忘れるほど訪れたが、多くはアメリカ周遊の帰路に時差ぼけ防止効果を期待して立ち寄ったものだった。アメリカから一気に帰国するより、ホノルルで1週間ほど滞在してから帰国すると時差ぼけは起こらない…ように思う。
空港での入国審査のおりに「お前はどうして何度もホノルルに来るのか」と問われたので「ハワイが大好きだから来るのです」と答えると審査官が笑っていた。
 
とにかく蒸し暑い
最初にホノルルを訪問した時は、一般観光者のスケジュールへの相乗りだったが、何よりも空港に着いた時の蒸し暑さに閉口した。季節によって蒸し暑さには変化があるが、何度ホノルルを訪ねてもやはりホノルルは蒸し暑いという印象を持っている。人にそう言うと誰もが「ホノルルは蒸暑くない」と反論されるが、私たちが蒸し暑く感じるのは、いつもアメリカへの旅の帰りに立ち寄るからだろうとおもう。
到着した翌日にゴルフに行ったが、妻などは日焼けでやけどのように皮膚がただれ、改めてハワイの暑さを実感したものだ。
最も長くホノルルに滞在したのは正月を挟んでの約1カ月余りだった。ワイキキの中心に位置する、アラワイ運河沿いに建っているアイランドコロニーという大型のコンドミニアム24階だった。滞在中は、不動産屋さんにあちこちの物件を見せてもらい、ワイキキ周辺のコンドミニアムの価格をあらかた把握できたが、当時はバブル期でもありとても手が出ない価格だった。暑さと湿気で活発に動けない。あとで体験する豪州のパースとは大違いだった。
昼間は毎日コンドミニアムの中で、家内と1セントコインで遊んでいたのを思い出す。朝夕は毎日アラワイ運河沿いを1時間ほど散歩やジョギングをしていた。運河には何という名の魚なのか知らないが、10センチ余りの魚が群がっていて、手でつかめるほどなのだが、すばしこくってなかなか捕まえられなかった。
夕方になるとABCストアへ日本の新聞を買いに行くのが日課だった。ある日のこと、見知らぬ白人女性に呼び止められた。「今は化粧してないけど、化粧するともっときれいになるのよ、しばらく待ってもらえない?」と言うではないか。なんと売春婦の誘いだった。彼女らは、夜になるとあちこちの路上にたむろしているが、まだ明るい時間に商売熱心なことよと呆(あき)れたが、家内にその話をすると大笑いされた。
 
 
まん丸い虹と正月の爆竹
 
ワイキキでは、生涯忘れられない出来事が二つある。いつかどこかに書いたような気がするが、まん丸い虹を観たのは最初で最後だった。ある日の午前10時ごろだったか、家内が「ちょっと来て!」と言うのでベランダに出てみると、ちょうど私たちが立っているところを中心にして目の前に虹が円になって輝いているではないか。急いでカメラでいくつかに分けて撮影したのが今も残っている。虹に包まれ私たち二人が祝福されているような、神々しい印象を持った。その時、我々二人は永遠に離れない幸せな夫婦でいられるだろうなと強く感じたものだった。
もう一つは、元旦の時だった。ホノルルのクリスマスのイルミネーションなどは他の都市に負けてはいるが、年末のカウントダウンのあとに来た、すさまじいばかりの爆竹音には驚いたり呆れたりしたものだった。テロが起こったのかと一瞬恐ろしくなった。街中というより山側につながる住宅街なども一斉に爆竹を鳴らしたから、音が山にこだましてすさまじい爆発音となる。正月を祝っているという感じではなく、今年もがんばれよと気合を入れられているような感じだった。
 
開放的なホノルルのホテル
ワイキキで楽しいのは、やはり夜になってからである。ハイアット・リージェンシーH、ロイヤル・ハワイアンH、ウエスティン・リゾートH、ホリデーイン・ワイキキH、など高級ホテルへ出かける。ホノルルのホテルはどこも玄関から入らなくてもよく、開放的になっている。だから宿泊客と同じようにいろんな施設が楽しめる。これはホノルルの大きな特徴ではないかと思う。各ホテルのショーを楽しみ、各ホテルでの飲食を楽しめる。どのホテルも開放的でウエルカムなのだ。ホノルルを思い出す時、このことが一番強く印象に残っていることに気付く。
 娘がサンセットクルーズのチケットをプレゼントしてくれた。南国の太平洋を悠然と進む船から眺めるホノルルの街は夕焼けに染まって美しかった。
 食べ物では、あまり強烈な印象は残っていない。娘が連れて行ってくれたレストランはワイキキから車で30分以上も離れたところだったが、とても雰囲気の良いレストランで、私の生涯で知る限りのレストランでは5本の指に入るものだった。
 コンドミニアムからダイアモンドヘッド近くのカピオラニパークまで歩いて行った時には、強烈なスコールにも見舞われたので、忘れることができない。こうして書いていると、当時のいろんなことが思い出される。観光コースを連れ回されていたのでは、このような思い出を持つことができないのではないか。やはり、旅は歩くことから始まると私は思っている。
 
日に何度も雨が降る
いつの時期だったか忘れたが、帰りの飛行機の中でご婦人たちがぼやいていた。「5日間雨ばっかりで、どこにも行けず毎日免税店に朝から晩まで行っていた。何のためにハワイまで来たのやら腹が立つ」と。和歌山の農協の団体さんだということだったが、どこへ行くにもその土地の気候を調べてから行くに限る。一生に一度しか行かない海外旅行が雨に祟(たた)られたのでは、せっかく来たのにせいがないだろうから。世界中、どこの国や地域にも特有の気候があるものだ。ホノルルは日に何度も雨が降る。だから虹がよく見える。車のナンバープレートにも虹が描かれていたりする。しかし旅行期間中、雨ばかりに祟られるというのも辛(つら)いものだ。あのおばさんたちのぼやきたい気持ちは痛いほど分かる。