中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(148)私を守ってくれたのはだれなのか

   《札幌・大阪・神戸へ講演に行く》

 思い出しながら書いているので話が前後してしまう。 2002年のことだが、私の著書「教育の原点を求めて」をお読みくださったご縁で、東本願寺幌別院から講演の依頼があったので一時帰国した。

わたしは東本願寺となんのゆかりもないが、講演のタイトルはご自由にということだったので「子供の可能性について」という演題で講演させていただいた。東本願寺幌別院は広大な敷地の上に荘厳に建てられており圧倒された。多くの学校を経営をされていて教育に対する熱意が感じられる。

札幌というところに行ったのは二度目だった。そのたびに札幌で旨い物を食べようと思うのだが、なかなかありつけない。教えていただいて、地下鉄に乗って寿司屋に足を運んだが、うまいお店だった。

札幌から千葉市の市川真間に行った。菅谷さん夫妻がパースに旅行に来られた際に日本語新聞のJAニュースをご覧になり、記事を読まれて新聞社に電話をして私を紹介してもらったと言ってこられた。「パースの地にあって、こんな記事を書いている人に会いたかった」ということだった。その記事がどんな記事だったかを思い出せないが(世界事情)だったことは間違いない。毎月1ページ分の記事を掲載していたが、そのころは世界のいろんな情勢を分析して書いていた頃だった。おふたりがパースに滞在した数日間のお世話をさせていただいたものだ。

日本に来られたら『ぜひわが家に』と言って下さっていたので、東京から近い市川市だったこともあってお邪魔させていただいた。ご主人はちょうど北欧旅行中だそうで奥さんに歓待していただいた。その夜、お寿司屋さんに連れて行っていただいた。小さなまな板に1巻が2巻を載せて出してくださる。次から次と夢中で食べてしまった。パースではあまりおいしい寿司が食べられなかったので寿司に飢えていたのだろう。

その後、十年もたってから妻が言う。「あの時50皿も食べていましたよ」って。えっほんと? 恥ずかしくなってしまう。なんと「行儀知らず」だったのだろうかと。いつかお返しをしなくてはと思いながら日が経ってしまった。

同じようにパースに旅行に来られていた大学教授の方がいた。英国に客員教授として勤めた帰りに豪州に立ち寄ったとのことだった。思い出したのだがお名前を失念してしまった。

奥様のお名前だけは思い出す。としこさんだった(英国ではテイファニと呼ばれていたとかで印象的だったので覚えている。 阪南大学の経済学部の教授だったが、わたしに「国際交流科」の学生たちのために講演を依頼されたていたのだった。

得意分野でもあるので楽しく話すことが出来た。後日、担当教授から「目からうろこのお話でした」とメールをいただいたのでうれしかった。

神戸ではKSF(神戸ファッションソサエテイー)のメンバーと楽しく歓談できたので楽しかった。わずか1週間ほどの一時帰国だが、妻にとってはパースの家にある花たちが気になって仕方がない。なるべく水を与えられるようにと多くの工夫をしたのだが無事であるかどうかを気にしていた。