中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

大好きだった歌謡曲、演歌が遠くなっていく

 音楽はどれも好きだ。村上春樹さんのように詳しくはないが、
 好きと言うことでは負けてはいない。
 私の年齢的なこともあって、やはり「歌謡曲」「演歌」が、生きてきた
 それぞれの年代ごとに多くの思い出の歌がある。
 戦後は「流行曲」といわれたものだった。終戦後外地から帰ってきた
 叔父から、流行歌なんか歌うな! といって、顔を殴られたこともあった。
 なにが悪いのかも分からなかった。
 演歌(艶歌)などと言われ始めたのは、あのバブル期当たりではなかった
 かと思う。歌謡曲と言う方がぴったりかもしれないと思ったりする。
 宇多田ひかりさん以来の、どこでつながっているのか分からない歌詞と
 つなぎ方の、そして早口の歌い方になってから、「今の歌」には、付いて
 行けなくなってしまった。 たぶん・・耳が遠くなっていることも関係あるの
 かな?
 それでも、歌謡曲や演歌は得意だったし、自信もあった。カラオケの点数
 的に言うと、どれを唄っても95点前後は取れたものだった。
 ぜんそくが、どんどんひどくなり、筋肉もなくなり、喉に痰が絡み、自慢の
 声もでなくなり、だれもカラオケに誘ってくれなくなり、歌う機会がなくなり、
 長い間、歌ったこともない。
 テレビで見る演歌歌手の多くは、みんな老いぼれてきて、わが姿を鏡で
 見ているようで観る気にもなれない。
 新聞広告に出ているコンサート広告を見ると・・・
 昔は大阪の歌舞伎座で座長として1か月公演をやっていたような歌手が
 3人に加え、1曲以上はだれもが知っている曲を持っている歌手たちでの
 8名での「団体戦」コンサートで、しかも安い。
 安くても、行こうとは思わない。
 それでも・・・先日のNHKに出ていた千昌男さんは巧かったな~。
 まだまだ、若手には負けない声量だったし、こぶしも冴えていた。
 あのひとも・・・・ハワイのホテル王にまでなって・・・借金王にもなって・・
 面白い人生だっただろうな・・・・と、なつかしい。