中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

差別をなくそうよ・みんな

これは20年前に(JA・NEWS新聞に書いたものですが、再掲します)

 人間とは弱いものであるらしい。常に不安という地盤の上に
 生活をしているために、他と比較して自分が優位であることを
 ひとつの拠り所として生きようとするらしい。
 そのために「差別」が生まれる。
 そのような、人間の弱さや習性を利用しようとするのが「政治」

 であり「政治家」である。
  地球上のあらゆる国に差別が存在する。差別の制度は、その国の

 政治家によって都合の良いように作られ、利用されていると
 いっても過言ではない。

 有名なインドのカースト制度もそうであり、日本では徳川幕府

 よって作られた「士・農・工・商・えた・非人」制度である。
 徳川幕府が作ったこの制度は、人間の弱さを巧みに利用した制度と
 しては優れていて、徳川幕府を三百年近く存続させるのに役立ったと
 言われている。


 徳川幕府までの日本は、大きな差別はなかったといってよい。
 その証拠に、秀吉は貧農の出身でありながらトップに上り詰めたし、
 信長や家康は武士出身でありながら、数代前までは、どこの馬の骨だか
 分からない家柄だった。

 のちに語り継がれている系譜はすべて作り物であって、事実ではない。
 武士集団が成立したのは鎌倉幕府の頃だし、その後の戦国時代も、

 階級としての武士ではなかったといえる。
  徳川幕府は「差別制度」を作ることによって、治安を安定させようと

 したのだろう。搾取される「農民」を、武士階級の次に置くことに
 よって満足させ、物を作る者をその次に位置づけ、金儲けをする商人を
 その下に位置づけた。それぞれの頭を撫でつけて騙しているようなものだ。

  この徳川幕府が作った差別制度は1946年まで生き続けた。

 第二次大戦後、その制度はなくなったとはいえ、今でも地域によっては
 残っていて、日本の汚点となっている。

 このように「差別制度」は、人々の為政者(いせいしゃ)に対する

 批判や不満を、為政者が他に向けさせる手段として使われるが、それは、
 国民の不満を「戦争」に突入することでかわそうとする手法と同じでは
 ないだろうか。
 かつては日本でも行っており、今やアメリカの常套手段にもなっている。


 さて、「差別」のことであるが、悲しいことに「差別」はどこの国にもある。
 何度も言うようだが、「差別制度」は為政者が作り上げる。しかし、その
「差別」を実行する人がいなくては、為政者の狙い通りにはならない。
 私達が最も悲しいことは、差別を実行する多くの人は「知識の低いひとたち」

 や子供たちだということなのだ。 
 私の子供の頃は戦争の最中であった。朝鮮人が差別されていたころである。

 その頃、朝鮮人に向かって「朝鮮、朝鮮といってなめるなよ、同じ飯食って
 どこ違う」と、他の子供達と一緒になって、朝鮮なまりで囃立てていたことが
 ある。
 恥ずかしい思い出だ。 今、この言葉を思い出してぞっとする。これほど

 すごい言葉を、意味も分からずに差別語として使っていた自分が恥ずかしい。
 子供や、知識の低い人達は、その差別を持つ意味が分からないまま、「快感」

 として差別行動をしてしまうだけに始末が悪い。
 だから、子供への「洗脳」的教育は、その国に汚点を残してしまう。

 その朝鮮半島(今は韓国と北朝鮮に分かれている)には、日本よりひどい差別

 制度があった。
 搾取という点では、最もひどい差別制度かもしれない。わずかの特権階級
 (両班・ヤンバン)が、ほかの90%の人々を苦しめたのだった。

  ここでは、イングランドアイルランドの関係について書いてみたい。

 イングランドは、約八百年に亘ってアイルランドを植民地化してきた。

 その上、過酷な「差別制度」を作った。
 これは、イングランドのアングリカン・チャーチを、アイルランド

 (アイリッシュカソリック)に押しつける形で作られた。

 アイルランドでは、ほとんどはカソリックだったから、これはアイルランド

 への宗教的な差別と考えて間違いないと思う。
  結婚の制限や、新たに土地を購入することを禁じ、法律家、医師、教師、

 軍人、警官になることを禁じる職業規制、或いは雇用制限と、限りない
 差別の上に、僅かの収入の内から十分の一をアングリカン・チャーチに
 収めなければならないという収奪をやっている。

 それだけではない。1649年には、史上希に見る大虐殺をやっているし、

 働き盛りの青年を奴隷としてアメリカに送ったりもしている。       
 要するに、イングランドは、アイルランドを締め上げ、差別してきた厳然

 たる歴史が存在する。
 そして、それが、途中で一部緩められたとはいえ、約八百年も続いたと
 いうのは驚き以外にない。
 世界史的に見ても、最も過酷な差別かも知れない。第2次世界大戦では、
 アイルランドは、ひそかにドイツに寄り添っていたかもしれない。
 歴史は遠くなっても、恨みは残る。民族的な恨みは千年経っても消えない
 のかもしれない。

 アイルランドは、第二次大戦後に、やっと独立できたのである。もとは

 宗教的な対立かもしれないが、世界はいつまで宗教的な争いをするのだろうか。
  
カソリックに対してプロテスタントは、宗教上の争いから血みどろの改革

 闘争上できたもので、ヘンリー八世自身が、自分が離婚をしたいがために、
 離婚を認めないカソリックから離脱して作ったものがアングリカン・チャーチで
 あることは周知の事実である。
 800年も虐げられてきたアイルランドは、十九世紀の半ばの、大飢餓で
 100人もの餓死者を出し、150万人がアメリカやイギリスに移住して

 いる。
  アメリカに移住した子孫の中から、ケネディ大統領とレーガン大統領が出て

 いるが、それまで、WASP(ワスプ=ホワイトで、アングロサクソンで、
 プロテスタント)しかなれなかった大統領に、アイルランド系の人が就任
 したということは、アメリカにおける、一つの差別がなくなった時でも

 あった。
  また、イギリスに渡った移民の子孫の中から、あのビートルスのジョン・

 レノンが生まれているが、イギリスでは、今なお、アイルランド人に対する
 職業的な差別は存在する。

 世界中に、悲しい「差別」の足跡が見られるし、世界のどこかで、今も

 「差別」が続けられている。差別は人種的なもの、宗教的なものである

 合が多い。国家間の争いは差別感を助長させ、歴史の中に生き続ける。
 差別という「人の心に住む化け物」は、なくならないかもしれないが、

 みんなが減らそうと心がけることで、世の中は住みやすくなるかも
 しれない。