中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出あれこれ(12)「イギリス&アイルランド」(1)」

2011~2012年にJA・NEWS新聞に連載したものをここに再掲載しています。
旅が好きな方には、古い話してあっても楽しんでいただけると思います。
 テロはロンドンでも起きるようになったけれど、テロを恐れていては外国
旅行もできない。私はあの日本赤軍の航空機乗っ取事件が連発していた
ころも、恐れずに?行っていたものだった。
 ロンドンは何と言ってもミュージカルですね。実はロイヤルバレエも観た
かったのですが、何度行ってもチケットが取れなかった。
元気なら、パリ、ロンドン・・それにアイルランドももう一度行きたいけれど
それも叶えられなくなった。肺動脈閉塞なのだから飛行機にも乗れない。
旅は若いうちですよ。 65歳までに楽しめるだけ楽しんでください。

旅の思い出あれこれ(12)
 「イギリス&アイルランド (1)」 (イギリス&アイルランド
 
 イギリスとアイルランドとの関係については、本紙2000年に「差別問題」を取り上げる際に書いたことがある。私たち日本人は、海外旅行が盛んな割には外国事情に疎い人が多い。学校で西欧史など詳しく習わなかったからだと言い訳をする人がいるが、それは怠慢と言うほかないだろう。
 そもそも、∧イギリス∨とか∧英国∨などと国名があるわけでもないのに、日本ではそれが当然のようにまかり通っていることが不思議でならない。このような事情が日本人をして西欧を正しく理解できなくしてしまっている原因ではないかと思ったりしている。
 日本人が言うところのイギリスや英国とは、イングランドウエールズスコットランド北アイルランドの4国で構成する「ユナイテッドキングダム(連合王国)」または、「グレートブリテンおよび北アイルランド」とかいわれるものである。だからUKと呼ぶ場合は北アイルランドが省かれている印象を受ける。「グレートブリテン」は、イングランドウエールズ、スコットランドがある島のことで、日本で言い換えるならば「本州」のようなものだ。それに奪い取って返さないアイルランドの北部が入って4つの国の連合王国ということになる。
 こういう事情を知らないで連合王国(こういう言い方のほうがややこしいが…)を旅していると恥をかくことにもなりかねない。
 言葉や通貨が同じだから一つの国ではないかと考えがちだが、それも違う。特にスコットランドは独立心が強く、イングランドと同じに扱ってほしくないという気概が強く独自の通貨も持っている。国境ではパスポートを要求される場合もある。私が乗ったバスの場合は、スコットランドの法律による荷重制限によってバスから荷物を全部降ろさせ、荷物は別の車で運ばされるという事態を招いた。運転手によるとスコットランドの嫌がらせだという。北海道から沖縄まで同じ法律の中で生活できるのとはわけが違うようなのである。
 1カ月間のバス旅行
 私が初めてアイルランドに旅したのは1996年で今から16年も前のことになる。ロンドンを起点にして約1カ月間西ヨーロッパ諸国を回り、1週間後にはロンドン~ウエールズアイルランドスコットランドイングランドを巡る約1カ月間のバス旅行に参加した。バスの乗客のほとんどがオーストラリア人だったのは、オーストラリアで企画されたツアーだったからだと思われる。私たちもオーストラリアからツアー参加を申し込んだのだ。
 今回から何度かに分けてこの時の経験を、記憶をたどりながら書きたいと思っている。さて、バスはロンドンを出発して最初にバース(Bath)に着いた。2世紀からローマ人によってつくられた温泉地である。風呂(bath)という言葉になった語源的な存在だ。
 バースを出てウエールズ地方に向かった。しかし今どんなにもがいてもウエールズ地方での思い出が全くない。特に印象的なところがなかったのか、私の記憶装置の問題なのだろうか。もともとウエールズという地名もあまり知られていない。ブリテン島の西側の出っ張り部分だけの小さな国だからだし、歴史上にもあまり登場しない地味な存在でもある。アイルランド共和国と同じケルト民族ながらアイルランドとは別の道を歩いてきたような印象がある。
 というわけで、ウエールズのホリーヘッドからフェリーボートに乗ってアイルランド共和国の首都ダブリンへ到着した。ダブリンからの記憶は今もって鮮明に覚えている。だからこの項ではアイルランドのことを深く書きすすめたいと思っている。
 アイルランドについては興味が絶えることがない。特にという理由はないが、掘り下げるほどに関心が深まるから不思議な国でもある。
 虐げられた歴史
 第2次世界大戦が終わるまでの800年間にもわたってイギリスから植民地として差別し続けられたという、信じられないほど虐げられてきた国である。800年間というのがどれだけ長い期間かを知るためには、日本の徳川幕府が260年間だったことを考えても想像できる。日本が朝鮮半島を植民地とした期間が35年間だったことから考えても800年間の長さを実感できるかもしれない。その間、結婚の自由も奪われ、職業の選択の自由も奪われていた。何よりも過酷な収奪が行われ、アイルランドは世界的に見てもひどい貧しさの国だった。
 アイルランドから逃れてアメリカへ移民する人たちが増えたのもそういう背景があるからである。アメリカ映画を見ているとアイルランド人が多く登場する。その多くは「警官」である。アメリカでは警官はアイルランド人がなるものだと思われるほどになっていたらしい。映画「タイタニック」では、タイタニック号の船底の格安の部屋でアイリッシュダンスに興じる風景が描かれている。アイリッシュダンスを知らない人には理解できないだろうが、映画ではそれを見せることで、アイルランドからアメリカへの移民集団だと分かるように設定されている。アイリッシュダンスを舞台化したものに「リバーダンス」がある。素晴らしいリズム感と機敏なダンスは時間の経(た)つのも忘れるほどの迫力がある。映画「タイタニック」は、アイルランドの貧しい青年と上流階級の娘との恋物語でもある。
 プロゴルファーに日本語を教える
 私が個人的にアイルランド系の人と出会ったのは、パースで日本語を教えていた時だった。Nick O'Hern(ニック・オハーン)という20歳の青年が私のクラスに来た。約2年間教えた。やさしい感じの青年だった。プロゴルファーだったが21歳で超美人の奥さんをもらった。その後頭角を現し、アメリカに渡り大活躍をした。ゴルフファンなら記憶にあるだろうが、マッチプレーであのタイガーウッズに2度も勝ったのは彼だけである。それから「タイガーキラー」と呼ばれるようになった。一時は世界ランキングのかなり上位まで来ていたのだが体調を崩し、その後低迷した(それでも毎年1億円程度は稼いでいる)。昨年末から復活基調にあり、1月現在の世界ランキングは138位である。今年は100位以内まで戻ってくるものと期待している。
 英語と日本語をエクスチェンジしていたアイルランド人がいた。ある荒れた天気の日にやって来たので「今日はお天気が悪くて…」と私が言うと「いやいや、ラブりー!」嬉(うれ)しそうに言う。彼の故郷のアイルランドでは、雨風の強いこんな日が多いという。このような気象もラブリーと考えれば、どんな日であっても、気持ちの持ち方次第ではラブリーな気分でいられるのだなと、彼から教えられた気がした。
 ついでに言うならば、O'Hernのような綴(つづ)りになるのはアイルランド南部地方の人名で、Oとなる場合は、土地の名士であった名残でもあるらしい。有名な人では劇作家のユージン・オニール、女流作家のフラナリ・オコーナ、荒野の風景画で有名な女流画家のジョージア・オキーフ、女優のマーガレット・オブライエンやモーリン・オハラ、「風と共に去りぬ」のヒロインとして多くの人の記憶に残っているスカーレット・オハラもいる(演じたのはあの大女優ヴィヴィアン・リー)。ついでに言えば、スコットランドでは、「誰々の息子(MAC)」という名も多い。ドナルドの息子(マックドナルド)、女王の息子(マッククイーン)などである。有名人からそんな名を探し出すと楽しいものだ。
アイルランド系の大統領
 アイルランドカソリック国なので、子沢山で知られている。本国のアイルランドには数百万人しかいないのに、移民先のアメリカでは数千万人もいるほどに人口を増やしている。
貧しいアイルランドから移民した子孫からアメリカ大統領になった人がいる。彼はカソリック教徒から出た最初の大統領でもあった。ジョン・F・ケネディ大統領である。その後第40代大統領にレーガンが選ばれている。彼の場合は父がアイルランド人、母はスコットランド人だった。
 堂々と物乞い
 話がそれたが、ダブリンについて最初に驚いたのは物乞いの多いことだった。道路に10人ほどが缶を持って座っている。その態度には物乞いをする人特有の悲しげな様子もないし、卑下をうかがわせる風もない。堂々と物乞いをしている姿に驚いた。首都のど真ん中でどうしてこんなことが許されるのだろうかと思った。
 あとでわかったことだが、カソリック教では、持っている人が貧しい人に分け与えるのは正しいこととなっている。だから貧しい者が、物持ちから分け与えてもらうのは当然であって卑しいことではないという考え方が根っこにあるようなのだ。しばらく見ていると、市の職員のような人が、山ほど品物を抱えてきて彼らに分け与えると、彼らは静かにどこかに消えてしまった。
 ダブリンからバスはアイルランド島を一周する旅へと出発する。もちろん北アイルランドは抵抗運動の激しい時代だったので、予定には入っていなかった。