当時、世界最大級のファッション見本市がミラノで開催されていた。
たくさんの「コマ」がある。
今ではコマのことを何というのだろうか・・スペース?という方が
わかりやすいかもしれないが、日本ではコマと言われていたもの
だった。出店スペースというのが正しいかもしれない。
多くのコマで「ジャパニーズ、ノー!」と言われたものだった。
本当に腹立たしいほど、憎たらしいほど・・ジャパニーズが嫌われた。
前回に書いた会社の社員などは、隠しカメラをバッグに仕込んだり、
物差しをもってボタンのサイズを測ったり、デザインをスケッチしたり、
それはそれは・・・傍目にも恥ずかしいほど・・・本人たちは社命として、
やっていた。
自分で考えるということをしないで、すべてコピーを作ることに徹して
いたようなのだ。
パリでは、ホテルで会議を開き、各自に日々エリアを割り当てて街を
歩かせ、ウインドウから写真を撮る、などの行為を行わせていた。
当時の日本人は、近年の中国人とほとんど変わらないといってよい
ほどだった。
ハワイにも爆買いに行くのであって、他の目的はないような人が
多かった。
帰りの飛行機の中で「毎日免税店に行っていて、ほかになにも観なかった」
と語り合っている団体さんがいた。
(続く)