日記を読み返すことなどまずない。
友とのことを思い出しながら読み返しているうちに、あることに気がついた。
一年間を通じて、体調のことばかり書いてある。ほとんどが自分の体調だが、
本来は元気な家内が体調に異常があった日などのことも書いてある。
年間を通して、こんなにも自分の体調が良くなかったことを改めて感じると共に、
書かなかった体調不良のことを考え合わせると、とにかく毎日が体調不良なのだ。
それで思い出した。
遠藤周作氏の純文学作品が大好きで、特に「深い河」などは秀作だと思っている。
だけど、氏の別のペンネームである狐狸庵先生が書いたものはユーモアにあふれていて
大好きだった。特に「ぐうたらシリーズ」や「狐狸庵先生ものシリーズ」は全部読んでいる。
あほらしいぐらいユーモアがあって、いつも読む度に腹を抱えて笑い転げたものだった。
ところが、氏の晩年に書かれた狐狸庵先生ものには、病気のことばかりが書かれていて、
暗い気持ちにさせられ、とてもユーモアを感じることが出来なかった。
人間は、誰もが歳を重ねるほどに、あちこちが痛んできて体調不良になるのだろう。
あっちが痛い、こっちが痛い、何をするにも思うように身体が動かない・・など、若いころの
ようにはいかない経験をする。もちろん内臓もあちこち問題が生じてくる。
このように、体調が悪い中で生きているうちに、このようにしんどいのであれば、いつ死んでも
いいか・・・とだんだん思うようになってくる。うまいこと出来ているもんだ。
長生きはすばらしいことだともてはやされるが、もし誰もが100歳まで生きたとすれば、
この社会は滅びることだろう。人間社会にも新陳代謝が必要に出来ているのだと思えば、
死ぬことにも大きな意義がある。
高齢者のほとんどが、すぐれない体調の中で日々を送っていることを若い人たちは知らない。
核家族になって、祖父母と一緒に暮らすことがなくなって、そういうことにも気付く機会がなくなった
からだ。
横断歩行などでも不自由している人を多く見かけるが、若い人たちが不自由な人に
たいしてサポートしている姿を見かけることは少ない。
電車の中でも「優先座席」に若者たちが平然と座っておられるのも、高齢者の辛さを知らない
からだと思う。
あと数年で私も旅立つことになるだろう。若い人たちの邪魔はしたくない。しかし、若人よ、誰もが
高齢者になるんだと言うことをしっかり理解して、高齢者に対して手を差し伸べてやってはくれないだろうか。