中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

黒田裕子さん逝去・仲間を失った悲しみ

NPO 「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」理事長の黒田裕子さんが
昨日(9月24日)逝去された。
とても悲しい知らせだった。
黒田さんとは、「兵庫県がん患者会連絡会」を一緒に立ち上げ、私が初代会長
となったが、組織の性質から行政と強いきずなのある黒田さんにやっていただいた方がベストではないかと私は会長をやめさせていただいたが、かえってて彼女に負担をかける結果になったのではと悔いている。
黒田さんの手帳はスケジュールで真っ黒になっており、あまりのスケジュールの
多さに時々間違うこともあるのよと笑っておられたが、あのか細い体のどこにこれほどのエネルギーが隠されているのかと思えるような活躍だった。
 
彼女の場合は超人的と言ってよい、文字通り体を張っての活躍だった。
見せかけの活動ではなく、本物の人物だった。心から尊敬できる人だった。
7月末に体調不良を訴え8月に入院と新聞には書かれているが、かなり以前
から体調不良の中でスケジュールをこなしておられたのではないかとおもう。
そういう人だと思う。
私にとっては、お付き合い以上の「仲間意識」があった方なので、彼女の逝去に
ショックを受けている。彼女のご冥福をお祈りしたい。
兵庫県は、彼女が亡くなる数日前に感謝状のようなものを渡しているが、私に言わせれば遅きに失したのではないかと思っている。
 
県知事室へもアポイントなしで入っていけるほどで、私も2度ほど県知事にそんな形で彼女とともにお会いしたものだった。
井戸知事とは、私が西豪州日本クラブ会長だったころに、パースの在西豪州
日本総領事公館において、総領事お招きの夕食会でわずか数名の会食に同席し親しく話し合ったことが2度あった。しかし、やはり外国でのこととて、その場限りのものだった。
 
黒田さんは、とても行政とのパイプに強い人で、その点では私とは全く違う。
私は行政が信じられないタイプ(というより行政に裏切られた思いで)なので独立独歩のスタイルを通し、50歳での学校設立などからこれまで歩んできた。
それだけに、彼女とタイアップしてやりたいことが多かった(彼女もそういってくれていた)のだが、私が高齢になって活力がなくなり、タイアップ事業ができなかったことを残念に思っている。
素晴らしい人材を失って、心に空白感を感じている。