中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

心理学ってどこまで信頼できるのか

最近、心理学を応用した刑事ものドラマがおおい。
4CHでは「LADY~最期の犯罪ファイル」
6CHでは「ホンボシ~心理特捜事件簿」
8CHでは「CONTROL 犯罪心理捜査」
週に3本も、同じ傾向のドラマが放送されるなんて、なんだか不思議な感じがする。
一般に心理学ものが流行っているのだろうか、わからない。
これらのドラマでは、心理学を応用して次から次へと解決して行くストーリーになっている。
しかし、本当に心理学ってこれほどすごいものだろうか。
 
私は心理学には昔から興味があり、河合隼雄先生の著書をたくさん読んだものだ。
ユング研究をしたこともある。心理学で学んだことを学校カウンセリングに使ったり、
今では「がん相談」のカウンセリングに使っている。
心理学にはとても興味津々で、なるほどと思えことも多いが、こじつけと言えなくはない
部分もある。
そして私には、心理学について、ちょっとした「とらうま」がある。
 
今から30年以上も前だが、かんさいのK大学にとても有名な心理学教授がいた。
当時、神戸市は「株式会社神戸市」と言われるほどの勢いを持っていた。
どういういきさつか、神戸市の各部局が競うようにこの教授を呼んで講演会を開催していたものだ。
私も神戸市主催の催しで、この教授の講演を聴き、感動を覚えたものだった。
そこで、私が会長をしていたグループでも、教授に講演をお願いすることになった。
幸いにも教授は快諾してくださり、当日を迎えた。
ところが・・・時間が来ても教授は現れない。会場にはグループの人たちだけではなく
多くの一般客も来ていると言うのに、肝心の講師が来ないのではどうしようもない。
とんだ恥をかかされたものだ。
 
その日から数日経ったある日、神戸市の経済局の係長から電話があり、今すぐそちらに
向うから出かける準備をしておいてくれとのこと。
当時、私たちのグループは経済局と深いつながりを持っていて、この係長には世話になった
ものだ。(彼はその後大きく出世した)
わが家に来た係長は、話しは車の中でするから、とにかく車に乗ってくれと私をせかせたので、
車に乗ると局長もいたので驚いた。
 
車が走り出すと、係長は言った。「先日、あなたのグループの講演に教授が来なかったでしょう。
どうも教授がすごく怒っているようだ。教授から今日、神戸市の各部局が依頼していた講演を
全部キャンセルすると連絡が入った。その理由は、君のグループにあると思う。」という。
何のことかさっぱり分からない。怒りを覚えているのは、断りもなく講演をすっぽかした教授に
あって、こちらの責任はないはずである。
係長は言う。「あなた達は、教授をお迎えに行かなかったでしょう。それが失礼なんだよ」と。
こちらは講演料を支払って来ていただくのに、どうしてわざわざお迎えに行かなくてはいけないのか
理解できな医と言うと、係長は「何がなんでも、頭を下げてくれ」という。
私は、こちらが悪いと思えないのに頭を下げることはできないと堅く断ると、とにかくついてこいという。
 
K大学には、その教授の名前がついた建物があった。その玄関を入ると教授は頭ごなしに「帰れっ!」
と大きな声で怒鳴ったものだ。局長と係長は土間に土下座をして謝っている。私にも謝れと言う。
神戸市の局長が土下座をしなければならないほどこの教授はえらい人なのかと思ったが、私は
謝らなかった。
局長の態度を見て、教授は「中へ這入れ」と言って我々を部屋に招き入れた。
この段階に来ても、私にはわけが分からない。
 
教授が口を開いた。「そんなに東京の先生は偉いのか!」と。
こちら側は、一瞬みんな茫然とした。意味を理解できなかったからだ。
教授の話が続いた。そしてようやくのこと、教授が怒り心頭に達している理由が分かった。
神戸市が開催したある催しに、この教授と東京からやってきた教授が講演をしたらしい。
その控室で、係長が東京の教授に大変な気配りをしていたが、私には気配りがなかった。
そんなに東京の教授が偉いと思うなら、今後はその教授を呼びなさい。私は降りる!と言うことだった。
何のことはない、係長に怒っていたのである。
私は尋ねた「では、私たちの講演会に来られなかったのも、その理由ですか」と。
教授は、そうだ、君たちも経済局と関係があるだろうと言うではないか。
 
どんなに偉い教授でも、どんなに面白い心理学の話しが出来ても、こんなことでこれほどまでに
怒るとは、大した人間ではない。
人間の偉さは、学歴や肩書などではない。こんな人格卑劣な人間が、これほどまでにうぬぼれる
ほど、社会は甘やかしすぎたのだ。
関西一の心理学の大家がこのざまでは、心理学と言うものはそれほど大したものではないと、
その時に思った。とんだとばっちりを受けたのは、私の方だったのだ。