中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

本庶さん講演・「自分はどう死にたいのか」

 今年のノーベル医学生理学賞に選ばれた京都大高等研究院の本庶佑(ほんじょたすく)
特別教授(76)が5日、愛知県豊明市の藤田保健衛生大で受賞決定後初めての講演を行い、
講演の中で「生きると同時に、どう死ぬかということも考えていかなければならない」と学生
らに訴えた。
  本庶さの講演は、京都大学の学生や教職員ら約2000人を前に行われ、受賞理由となった、
がん免疫療法につながるたんぱく質「PD-1」の発見の経緯や、今後の治療の可能性に
ついて紹介した。
 その上で「感染症やがんによる死を恐れずに済むようになったら、人はいつまで生きたいと
望み、それで幸せになるのか」と問いかけ、「自分はどう死にたいのか、一人一人が終末期
医療を真剣に考えることも重要」と述べた。
    本庶さんの講演の詳細まで分からないのが残念だが、上記の記事から推察すると、学生や
教職員達に向けての講演だけではなく広く国民みんなに対して離されたような気がする。
  オポジーポのような超高額な抗がん剤治療を受けてまで生きる価値について、一人一人が
もっと深く考えなければならない・・と仰っているような気がしないでもない。
 学生や教職員の若い人たちは死生観についてどこまで考えられるのか分からないが、とっくに
ちゃんと死生観を持っていたように思っていた私が、84歳を目の前にして「生きることと死ぬこと」
の重さを改めて考えさせられている。
 人はさっさと死ねないし、元気溌剌で生きながらえるとは限らない。「死に時」というものがある
ように思えるのだ。  昔、祖父が酒を飲んでは語っていた・・多分・・浄瑠璃の一節だとおもうが、
「去年の秋の患いに、いっそ死んでしもうたらこんななげきもあるまにに~~」 以前に患った時に
死んでいたら、いまのような辛い思いをしなくてもよかっただろうに・・ということなのだろう。
 医学の進歩で「死に時」の道が塞がれ、場合によってはコードやパイプを何本も繋がれてまで
「生かされる」羽目になる。 生き方と死に方・・何度考えても難しい。