中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(143)私を守ってくれたのはだれなのか

          《映画「シンドラーのリスト」を観て泣いた》

 母が亡くなった後、お世話になったかたがたにご挨拶にと帰国した際に、アカデミー賞7部門を受賞した映画「シンドラーのリスト」が日本で上映されていた。

 ポーランドを舞台にした映画だった。

ナチスドイツによって強制収容所に送られて殺されていくユダヤ人を一人でも多く救おうとした一人の実業家を描いたものだ。

彼によって救われたユダヤ人は千人に上ると言われている。

 主人公の彼が「もう少し金があれば、もっと多くのユダヤ人を救えたのに」と嘆くシーンがラスト近くにある。

そのシーンを見たとたんに、わたしは泣き出してしまった。映画館の中ではあったが、涙が止まらなかった。嗚咽というほどの泣き方になってしまった。

 わたしにも、もう少し資金力があれば、もっと多くの子供たちを救えたのにとずっと思い続けていたので、映画の主人公の嘆きが、わたしの思いと重なってしまったのだった。

 私の場合は、ユダヤ人のように命がかかった問題ではないが、行き場を失って戸惑う子供たちに高校進学の道を作ってやろうという信念から、資金もない身で高校をつくろうと必死で頑張ってきたのだった。 本当に、命がけで、懸命な努力と多くの人の支えで作った学校だった。

 帰国して、教師たちから聞くと、多くの生徒が退学処分されていると聞いた。生徒が問題を起こす。経営者は、自分をも守ろうとする。経営者は社会に恥をかきたくない。問題の生徒は退学してもらうということになるのだろう。

理念は変えないと約束したはずだが、新しい理事長には、彼なりの考えがあったのだろうと思う。

そういう話を聞いたあとで「シンドラーのリスト」を観たのだから、主人公に重ねて、たまらずに泣いてしまった。

 その翌年に、阪神淡路大震災によって廃校に追い込まれたのだから、人生って分からないものだと、つくづく思わずにはいられない。

 《娘家族が帰国してすぐに「阪神淡路大震災が」》

娘家族が我が家での、約一ヶ月の滞在を済ませて帰国した翌朝に「阪神淡路大震災」が発生したのだった。 娘は、

『ほんまに、天国から地獄って感じだわ。帰国して、のんびり眠っていたらド~ンという地震だものね。家から見るとあちこちで火災も見えるし、これまで見えていた建物も消えてしまっている。うちの家はおかげで大丈夫のようだけど』

 と、震災後しばらくして電話があった。

 世の中、なにが突然に起こるか分からないものだと、つくづく思った。恵美は震災離婚をしたが、後に素晴らしい亭主を得て幸せになった。

50歳を過ぎてから自力で大きなログハウスを建て、カフェレストランを営み、孫二人に恵まれた。これが掲載されて数日後には、恵美の長男の妻が孫を出産するころだ。わたしにとって三人目の曾孫になる。

妻の娘の清子は、マンションの床が抜けて一階までドスンと落ちたようだが、怪我はなかった。その後が大変だったようだが、よくしのいで今では孫二人を持っている。

大阪に住んでいた娘も、孫たちも無事で、淡路島にいた二人の娘たちの家も家族もみんな無事だったのが何よりだった。

 前にも書いたが、兵庫県への募金活動に走りまわったが、ごくわずかしか集まらなかった。当時は、豪州のテレビなどで詳しい報道もなく、あれほど酷い状態だったとわかったのは震災から2週間後あたりだったと思う。

震災の場合は事情が伝わってくるのが遅いから、これほどひどい地震だとは思わなかった人が多かったかもしれない。実情が分かってきたのは、一か月以上たってからだった。 私の募金活動が早すぎたのかもしれない。 実情がわかるにつれ、少ない募金額では申し訳なく、西豪州日本クラブからの募金は私が大きく上乗せして兵庫県に送った。

     《私の記念碑でもある神戸暁星学園が消滅することに》

 神戸暁星学園は、須磨校舎が類焼で全焼し、兵庫校舎がやや傾いて、校舎としての使用禁止命令が下った。

 三年生は卒業日が近いために、特例のレポート補修が認められることになり、新規募集は中止して残るは在校の二年生の扱いだけとなった。 

公立の夜間高校の校舎を借りての授業を続けて全員を卒業させて廃校となった。もちろんこれらの震災後の対応は、すべて私から引き継いだ理事長以下が対応してくださった。

この大震災が発生したために学校は廃校のやむなきに到り、わたしが受け取れるはずだった十年間、毎月の報酬を頂ける契約も反古となった。

わたしとしても収入が絶たれてしまったのは、予想外の事であり大きなショックであった。 万一経営的に赤字になっても新理事長と副理事長から給与分の支払いは行うという契約であったが、大震災を受けての廃校となってしまっては、契約の履行を求めるわけにもいかない。