今日12月6日は娘の誕生日だ。あの日のことは、今もはっきり
脳裏に刻まれている。その頃はあちこちの店舗や会社の帳簿の
面倒を見ていた。あの日は卓球をしに行っていたら、夕刻前に
産まれそうだと連絡を受けて、産婆さんに連絡し、急いで帰宅し
お湯を沸かし、大きなタライを用意して産婆さんを待った。
あっという間に生れ出たが、なにしろ8か月の早産だったからか、
全身が真っ白だった。私が25歳だった。 オートバイの前の
ガソリンタンクの上に座らせて走っても怖がらなかった。
よく歌を唄ってやった。勉強は教えたことがないように思う。
歌(童謡)を唄い、星空のことも話した。先日、娘夫婦が
大きなログハウスを二人で建てたことをかいたが、この娘
夫婦のことなのだ。 まもなく阪神淡路大震災から25年になる。
あの地震の前の日に、豪州・パースの我が家での1か月間の
度から帰国した途端での大震災だった。「天国と地獄」を
味わったと娘は言っていた。 人生は大きなうねりを伴いながら
物語を作ってくれる。