誰もが持っているとは限りませんが、人生の半ばを過ぎる
頃には生きていくための「美学」を持っている人が多くなります。
もちろん「美学」という言葉を使うかどうかは別ですが。
別所長治氏の物語があります。
秀吉軍に攻めらながらも耐えて、自害に至るのですが、司馬さんは
別所長治氏の「美学」として書かれています。別所長治氏は一族が
切腹することで家来たちの命を守ることを条件に秀吉に降伏している。
辞世に「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」。
長治は若干23歳という若さであった。
司馬さんは彼の取った行動を「美学」と書いている。
私は自分の病気について、あからさまに書くことにしているが、これは
そのことによって多くの人たちに考えるきっかけになればとおもうから
なんです。70歳までの私の美学のなかでは、自分の病状をあからさまに
出来なかっただろうと思います。
ということは、美学は年齢や状況と共にかわってくるものなのですね。
「こだわる」ことに美学を感じている人も少なくありません。
でも、「こだわる」と言うことは融通が利かない頑固ものだということでもあり、
美しいことではないですね。
寿司屋の主人などに「こだわりを持ってやっている」と言う人がいて、それが
美味いものと結びついているかのような錯覚を持っている場合もありますが、
こだわらなくても、お客さんの立場に立って仕入れ、握れば、美味い物を
だせます。
私の今の「美学」は、自分に厳しく、周囲にやさしく生きたいということでしょうか。
格好の良いことを書かせていただきましたが、できているかな???と反省も
欠かしていません。