中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人生の岐路について ④ 出会いの素晴らしさ

③を書いてから1週間以上経ってしまった。人生の岐路などと

言うものを書くと、どうしても自分の人生の歩みにも触れてしまう。

読み手の立場に立つと、そんな話は読みたくないよ・と思われそうで

躊躇してしまうのだが、最近どうして書かないの?と問われたことも

あり、まぁ書いてみようか・・と言う次第で書いている。

 私の場合は、順調な人生を歩んだ人の10倍以上もの出来事があり、

それらをすべて書くつもりはない。でも岐路に立つたびに自分に

言い聞かせたことがある。「安直な道は選ぶな」と。「厳しい道を

進め!」と、自分を鼓舞してきたものだった。すべてに対してそれが

出来たかといえばNOである。安直を選んだのではないが、先々を

切り開くために迷惑を掛けたことが2度はあるからだ。 

 岐路に立つたびに、どうしよう・・と、だれもが思うはずだ。

どのみちを進もうか・・その選択は容易ではない。今日は岐路の

選択ではなく、出会いの面白さ、出会いの素晴らしさを少し書いて

みたい。

 司馬遼太郎さんが「海音寺潮五郎さんのこと」の中に書いておら

れる文章の中で、私の胸にぐっとせまる一文がある。《「いま、

会いたいと思う人がある」と氏はある夕、夫人にいわれた。夫人は、

それはきっと司馬さんでしょう、といわれたそうである。私は心が

さざなみ立つ思いだった。私もしばしばそうおもい、そうつぶやく

ことがあるのである。げんにことしの正月、氏の那須の山荘におし

かけ、窓の外の雑木林を見ながら、二日間、四十時間、しゃべり

にしゃべって氏もまた疲れず、私も睡眠をとることが惜しくてたま

らなかった思いがある。ところで、そのときの会いたいと思う人は、

残念ながら私ではなかった。(略)》

 司馬さんは海音寺さんより21歳も若い。私と司馬さんとでは、私は

11歳若い。 海音寺さんは文学賞の選考委員として司馬さんの作品を

推したことからのご縁で繋がっていたようなのですが、司馬さんの

文章の中から、お二人の仲睦まじいというか、いつまでも語り合いたい

間柄がうらやましくもある。そういう友人を持っていることだけで

幸せな人生ではないだろうかと思う。

 私に、そういう人がいたかとなると、そこまでは・・ない。しかし、

こういう人がいた。仕事上の付き合いではない。いつの間にか友達に

なっていた。神戸大丸の宣伝部長だったKさんだ。かれの友達だった

Oさんにも紹介され3人がつれもって飲み歩いた。私は「ちゅんさん」

とよばれ、オーちゃん、しんちゃん、ちゅんさんの三人組だった。

オーちゃんが私より1歳年上、しんちゃんが1歳年下という間柄だ。

 しんちゃんとは神戸仲間なので会う機会も多かった。わたしはあまり

飲めないが食べるのが好きなので、いつもカウンターに座り長時間

語り合っていた。 私がいつか、3人でいる時に「こんな時、オーちゃん

ならどう考えるのだろう、しんちゃんならどう思うのだろう」って

思う時があるんだよ・・と言うと、今度は二人が声を揃えて、そうそう

おれも、ちゅんさんならどう考えるのかなっておもうんだよな。っていう。

お互いが認め合っているのだと思える日々だった。オーちやんはいろんな

会社を持っていて、その一つのデザイン会社の専務を頼まれた時期もあった。

大阪、御堂筋にその会社はあった。やがて、しんちゃんが大丸を辞めて

独立すると言い出した。二人して反対した。「大丸の宣伝部長の名刺の

有効期間は長くて6か月間、その間に新会社を軌道にのせることができ

るか!」と。 ちょうど、三人ともいろんな意味で忙しかった。

オーちゃんは、またまた新会社を設立して多忙だった。私は高校設立

で大忙しだった。 そして、しんちゃんも独立した。

 6年後、私の出版記念パーティーに二人を招いた。その日のこと、

しんちゃんは、私に向かってこういった「この約6年間、ちゅんさんに

会わなかったのが、おれの一生の間違いだった」と。間もなく彼は

破たんしてしまったのだった。 しかし、とても気の合う友人だった。

いまも、妻と語り合う時にしんちゃんの話が出てくる。彼らは豪州・

パースにも遊びに来てくれた。楽しそうだった。私たちが帰国した

2005年「なんで、あんなすばらしいところから返ってきたんだよ」

ってかれがいう。「がんになってな、治療のために帰国したんだ」

がんなんかになりゃがって・・俺は絶対にがんにはならないぞ!って

言っていた彼が、それから5年後にがんで逝ってしまった。いろんな

出会いがあるが・・よく語り合ったという点では彼以外にない。

何時間でも語り合えた。かれが、得々としゃべる、うんうんと聴く。

やがて私が一言二言・・ちゅんさんもよく勉強してるな~!と彼。

いつもそんな感じだった。着物をきせて犬を連れて歩かせれば西郷

隆盛さんのような風体の彼だった。