中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(121)

以前に紹介しました第一期生の黒川さんから次のような
メールをいただきました。
とても嬉しいメールなので紹介させてもらいます。
 学園のブログは、笑いあり涙ありで、懐かしくまた楽しく読ませていただいており
 ます。しかし先生はよく覚えていますね。
 野球のボールを川に取りに行った話などは、先生のブログを読んで、そんなことも
 あったな~と思い出しました。(115回)
 その時の友達との会話や風景までもがリアルに浮かびました。
 先生たちが本気で泣いたり叱ったり、また本気で向き合ってくれたことが、大人に
 対する不信感を払拭してくれましたし、自分たちもそんな大人になろう!と思った
 ものです。
 私たちの卒業式では、松田先生は涙しながら「ただみんなと一緒に4年間を過ご
 しただけ」とスピーチされていたことを思い出しますが、この言葉の意味や重みは、
 一緒に過ごしてきた者にしかわからない言葉でした。
 一緒に過ごした時間は、みんな本当の自分で過ごせたから、成長を感じることがで
 きた瞬間でもありました。
 あ~懐かしいです。やり直せないからこそ人生は面白いのかもしれませんね。
 先生のブログは通勤の電車内で読んでいることが多いのですが、
 車内で泣きそうになることもあり、グッと我慢しながら読ませていただいております
 (121)
 いろんなタイプの先生たち
小さなトラブルは日常茶飯事でしたが、生徒たちが多いということは、
あまり生徒が見えないためか、生徒がさまざまなグループを作ってい
るので、少人数の時のように全体が一つの方向に走ってしまわないた
めか、「昨年よりは楽ですね」というのが初年度からいる先生たちの
声でした。
しかし、その年の新任の先生たちにとっては、大変な日々だったよう
です。大学卒の新任教師はおらず、他校で教壇に立った経験のある方
が多かったのですが、生徒から「先生」と呼んでもらえず、やんちゃ
な生徒から「オッサン」「オバハン」と言われるだけで、カーッと頭
に血が上ってしまう教師もいましたし、落ち込んでいく教師も出てき
ました。
意識の高い生徒ほど教師に対する不信感が強く、いろんな言葉や行動
で教師たちを試すのです。しかし、試されているという意識がなく、
ストレートに受け取る教師もいれば、試されているということが
かっていても辛抱ができないという教師もいました。
野村先生は、開校二年目に入ってきた新任の先生で、それまでの教師
の経験はありません。彼女は待望の長男が脳性小児マヒにかかるとい
う試練に遭いました。これだけでつぶれてしまう人も多いのです。
でも彼女は明るく、四人の子を産みました。
彼女は子育てをし、寝たきりの姑の世話をしながら、仏教大学の通信
課程に学びました。ノートルダム女子大学の英文科を卒業していま
したが、教職課程をとるために仏教大学に入ったのです。それだけ
ではないのです。「いのちの電話」のボランティアとして、徹夜で
奉仕活動も続けていたのです。教職の資格をとって数年後、私の学
校の募集広告を見て、「これだ」と思ったといいます。かなりの試練
をくぐり抜けてきた彼女は、まだ子育てが終わってしまったわけでも
なく、ボランティア活動をやめるわけでもないのに新しく「もう一
つの仕事」としてこの学校の教職を選んだのです。
彼女は、その育ちの良さが災いして、やんちゃな生徒が好きになれま
せんでした。けれども五年を経過した現在も、「弱い立場」や「弱さ
を持っている生徒」への愛は誰にもひけをとりません。
彼女は、もっともやんちゃな二年生(一期生)の国語を担当していま
した。毎日毎日が彼らとの闘いでした。一期生を理解しようと努力す
る彼女と、何とか排除しようとする生徒とは、相容れないものがあり
ました。生徒たちが、ある日私に、
「先生、今年来た女の先生な、みんな上品すぎて気持ち悪いわ、何と
かしてんか」と言ってきたことがあります。そういえば、国語の在間
先生、芳野先生、英語の近藤先生も上品な先生でした。
そのような彼らのクラスに授業に行くことは、野村先生にとっては苦
痛の毎日だったことでしょう。
二年生は、一学期の初めから、彼女の授業を無視し続けました。授業
には出ているのですが、積極的に参加をしていなかったのです。
一学期も終わりに近づいた七月初め、授業を終えた野村先生が私のと
ころへ来て、「理事長先生。聞いて、聞いてください」と、笑顔で言
うのです。
「野村先生、どうしたんですか」
「二年生の黒木君がね、私に『先生、何でそんなに一生懸命教える
んや? 誰も聞いてへんやないか』と言ってくれたんです」
野村先生の笑顔の目がうるんでいました。
この日から、彼らは野村先生の授業に参加し始めたのです。卒業式後
の謝恩会の席上、生徒が「人のために一生懸命働くということを、
この学校で教わりました」と言った話をすでに書きましたが、教師の
一生懸命の姿は、必ず生徒に通じるものだということを証明してく
れました。野村先生が今も生徒のために頑張っていられるのも、その
黒木君の一言があったからではないかと思っています。