中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(118)

(118)
新入生と学校周囲の理解
 
新しい一年生(第2期生)たちはというと、彼らは新任教師たちの
予想をはるかに上回るほど多動で、多様な行動をしたのです。
面接の時も一時間という長い間を耐えることができましたし、入学式は、
予行練習もないぶっけ本番でやったにもかかわらず、本当に立派な入
学式ができました。来賓の方たちも、もっと大変な入学式を予想して
おられたらしいのですが、あまりにも立派な入学式に感心して下さった
ほどでした。
しかし、翌日から様相ががらっと変わってきました。まず、制服を着
用せず、応援団のような長ランを着る生徒が20名余り登校し、前日
の入学式の日に、「理事長からいろいろ聞いたけれど、心配すること
はなにもなさそうだ」と言っていた新任教師たちをあわてさせました。
新任教師たちは、長ランを着ている生徒たちにどのように対応してい
いのか、まず分からないようになってしまいました。その生徒に教師
が注意しようとすると、鋭い目つきで睨まれたり、「先輩も着てる
じゃんか」と言われて後の言葉を失ったり、教師のなかにもさまざま
なタイプの人間のいることが初日から顕わになってきたのです。
初日にして、やんちゃタイプの生徒から目をそらし、彼らと関わるこ
とを極力避けてしまう教師が多いことに気づきました、面接のときには、「やんちゃタイプの生徒も可愛いですね」と言っていたのに、彼らと関
わって一日目でシッポを巻いてしまったようなのです。
やんちゃな生徒を見て、目が鋭くなっていく教師もいました。
このタイプの教師は、やんちゃな生徒たちを力づくで押さえ込んで
やろうとしているようでした。
新校舎で授業が始まって二、三日目のことでした。ちょうど生徒の
下校時に雨になりました。隣が、第一生命のビルなのですが、その
第一生命の女子社員の方が、「この学校の生徒さんだと思いますが、
四、五人の生徒が会社に入ってきて、玄関付近に置いてあった
傘を持っていってしまいました」と言ってこられました。これが、
近所からの初めての苦情でした。それから翌日、近所からの苦情が
相次ぎました。
小学校、中学校と、広い敷地を持ち周囲を堀やフェンスに囲まれ、
登校したが最後、下校時まで学校外に出ることができないという学
校生活を九年間やってきた彼らが、商業・住居半々の地域にあって、
運動場もなく、ビルの玄関を出れば、そこは下界という新しい環境が、
ものすごく嬉しく、はしゃいでいたのです。それは、鎖にずっとつな
がれていた子犬が広い野原に放たれたようなものだったのでしょう。
生徒たちは、自由を得て、冒険をしたくてしようがなく、近所の路地
へ入ってうろうろしました。
生徒たちは、かなりの広域から通学していました。最も遠いところ
では、滋賀県近江八幡から通っていました。高槻市宝塚市、吹田
市、其面市、西宮市、明石市などから通学する生徒が、半数を超えて
いました。これは、現在も同じです(現在は、姫路市などさらに西の
方面にも広がり、より広域となっています)。自宅から遠く離れた学
校ということも彼らには初めての体験なので、より開放感があったの
でしょう。
学校の裏は住宅地で、戦後間もなく建てられた家が多く残っています。
いわゆる下町です。生徒たちは、住宅地の狭い路地に入るのがことの
ほか好きです。その路地へ入ってタバコを吸う生徒もいましたが、ほ
とんど面白がって入っていましたし、路地で鬼ごっこをして遊んだり
する生徒もいました。
近所からの苦情が相次ぐので、教師たちが巡回指導に出かけますと
、その教師から逃れるために路地から路地へ、さらには堀を越えて逃
げるありさまで、生徒と教師の鬼ごっこに変わってしまいます。教師
がカッカするほど生徒にとっては楽しく、おかしく、鬼ごっこはよけ
いににぎやかになり、近所の顰蹙を買うという状態で、夏目漱石
『坊ちゃん』を思い出すありさまなのです。
弁当を持ってきていた生徒も、近所の食堂へ食べに行く方が楽しく、
時には、弁当を持った生徒が他の生徒に付いていき、食堂から「何も
とらずに弁当だけ食べている生徒がいて困ります」とお叱りを受け
ました。250名の全部ではなく、五、六十名の生徒がとくに目立っ
た行動をするのですが、学校ができるまで比較的静かだった住宅街が、
彼らのために乱されるという苦情が相次いだのです。
例えば、横断陸橋には交通安全の横断幕が張ってあり、座ってしまう
と下の歩道から見えなくなるのですが、一列になって座っていたら
しく、近所の方から
「怖くて陸橋を使えない」
と苦情が持ち込まれました。
もちろん、このような状態をよしとしているわけでもなく、放置して
いるわけでもないのですが、さりとて、近所の方がおっしゃるように、
「あんな生徒たちは退学にして下さい」
という言葉を受け入れるわけにもいきませんし、具体的に悪いことを
したわけではありません。
私は、教師たちに、生徒に対して決して暴力をふるわないように強く
指示をしてありました。しかし、_いろいろと問題を起こす生徒たちは、
かつて、小・中学校の先生や親になぐられた経験のある生徒ばかりで
した。だから、いくら厳重な注意を受けてもここのセンコーはなぐら
ないということになり、彼らにしてみれば許された行動のように受け
取っていたようです。彼らには「自由と民主主義」について四年間、
話を続けることになりますが、もう少し幼い頃から家庭や学校で、
管理教育ではなく、自由と民主主義の実践をやらなければならないの
ではないかと感じました。