中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(65)

 書きたくないような、辛い思い出を書き終わって、これからは
気楽に書き進められる。
元町3丁目に店を持ち、従業員も増やした。仕事は順調かというと
そうでもない。とにかくまだ固定客を持っていないのだから、オー
ダー客がどんどん来てくれるはずもない。
 急に注文が増えたことなどは、従業員や外注先だけでは間に合わず、
元妻に無理を言って応援してもらったこともある。彼女の腕は確かな
だけに、難しいものなどの場合、安心して頼めた。
 しかし、オーダー客を待つだけでは経営は成り立たない。次の一手
が必要なのだ。将来的にも安定が予測される「次の一手」を毎日考え
あぐねた。そんな苦悩の日々の中に、すし店の一件もあって心を痛め
たものだった。
 当時、毎日のように午後3時ごろ、センター街からそごうデパート
方向に渡る横断歩道と、元町大丸前の横断歩道で写真を撮っていた。
ファッション傾向を探ることが目的だった。
 今と違って多くのご婦人はファッションに関心が高かった当時で
ある。などと言うと、今のご婦人に文句を言われるだろう。今の人た
ちのファッションは、何でもありというか、街角にしゃがみこんでも
いいような、お粗末なものが多くなった。それは、阪神淡路大震災
影響だろうし、今回の東北大震災で、この傾向はもっと強くなるだろ
うと考えている。ファッションの基本のようなものが世界的に薄れて
来ているのも現実である。
1960年代、70年代に活躍したイヴ・サンローランエマニュ
ヴァレンティノピエーギ・ラロッシュピエール・カルダン、
ヴェルサーチジョルジオ・アルマーニなどが作り出した「時代」は
華麗な年代だったのかもしれない。今では、シルエットさえも大事に
されなくなってきた。ましてや芯の使い方などを考えるような洋服は、
ほとんどなくなってきている。
 この頃、私は姫路にあるデパートの「チェリー・コーナ」のデザイナー
を週に一日だけ担当していた時期がある。当時、東京に本社を持つ(株)
チェリーは、舶来高級婦人服生地を「チェリー・コーナー」として全国の
有名デパートに展開していた。どういう縁あって頼まれたのか、さっぱり
覚えていないが、週に一日姫路まで出掛けていた。
 東京で、全国のデパート担当デザイナーが集められて会合があった。
驚いたのは、チェリーの縫製工場だった。広大な工場で「オーダー服」
が作られていることにはたまげた。全国のデパートのチェリーコーナー
からの注文が、ここに集められ縫製されていたのだ。この規模で、既製
服ではなくオーダー服だということが何よりの驚きであった。帰り際、
工場長が私に言ったことがある。「あなたは神戸ですから春貴(しゅんき)さんをご存知ですよね。私どもは、毎年二着ほど春貴さんに服を注文し、
それを解体して、どんな芯をどんな風に使っているのか、どんな縫い方
をしているのか研究しているのです」と。
 その後、縁あって佐野の叔母夫妻の次女を「春貴」に勤め先として
紹介し、縁あって春貴の息子と結婚し現在に至っている。ついでだが、
叔母夫妻の長女は、私の知り合いのオーダー服店に就職を世話した。
そう言う縁あって、今も娘のように可愛いものだ。
 話を戻すと、当時は服を作ることに、こだわりがある時代だった。
着られれば何でもよいというような感覚ではなかった。次回は、もう少
しファッションの話を書こう。