中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(166)私を守ってくれたのはだれなのか

     《これは第四の人生と言えるのだろうか》

私の人生は2021年3月末に終わったと思っていた。 周囲のだれもが同じように思っていただろう。 それが、命をつなげたのはなぜか、いま一度なにかをやり遂げよと言われているようで、この文章を書き始めたのが2022年8月末だった。

第一章から第四章まで進み、最後に家族への感謝の気持ちを書いて終ろうとしていた。 あと2万字ばかり書けば終わる予定だった。

 ところが2022年12月16日の日記に(第4部9万8千字を超える、12万字で終わりにしよう)と書いた翌日から書けなくなった。

これを書いているのは、2024年5月13日だから、およそ一年半ぶりになる。2022年の12月半ばから妻の痛みがひどくなって、わたしのサポートを必要とするようになり、わたしが原稿を書く時間が全くなくなってしまったので、原稿は宙に浮いたままだった。

そんないきさつで一年半前に主夫の座を預かることになってしまった。

妻が2022年12月23日にあんしんクリニックの診察を受け、第4腰椎の圧迫骨折と診断された。 医師は 「薬も効かないからいらん」 と言ったようだが無責任な発言だと思う。 妻は痛みで悶絶しているというのに本当に医師がそう言ったのかどうか分からない。 妻にとっては生まれて初めての痛みのようで、寂聴さんが感じた「この世に神も仏もあるものか」と同じだと思ったのだろう。

それでも、それまでに8年以上腰痛で苦しんでいた私に 「あなたの場合はこれほど痛そうではなかったよ」という。 痛みとは、自分で経験しないと理解できないものらしい。

とにかくトイレに行くためにベッドから降りるのに30分もかかることもあり、かえって骨に負担がかかって悪くしてしまいそうだった。 関本医師からの投薬でいくらかは楽になったが、痛みは薬だけで治るものではないので本人が辛抱するより外ないよと言うより外ない。

 10年以上前の、第一腰椎から始まって第五腰椎まですべてが圧迫骨折し、そして第13胸骨まで折れた痛みを体験している私のアドバイスをもっと聴けばというのだが、妻は「それほど痛そうにはみえなかったよ」というのだから、痛みの経験がない人には分からないものだと知った。

妻の紀子は痛みを感じた時に絶叫という形で表現する。歯医者へ行った時もそうだった。待合室まで聞こえる声で「いたい!」と叫ぶ。医師が「それじゃもう一本麻酔を打ちましょうか」なんて言っている。 痛みに弱い体質だけに、見ていて辛いのだ。何よりもベッドから降りるのに半時間以上もかける。その際に右の大腿骨を下にして圧迫を与えているので、痛みにたえてもっと素早く体を起こさないと右脚に負担をかけるから、別の痛みが発生するよと注意したとおりになってしまった。

ようやく第4腰椎の骨折がよくなってきたかな思った矢先に(2023年11月初め)ベッドから滑り落ちて大腿骨骨折になり、入院して手術を受け、その後5か月を超えるのに未だにリハビリ中である。

1昨年12月中旬から主夫の座を守ってはいるが、寝たきり状態からやっと起き上がって自分のことが出来るようになった矢先のことだったので、全く自信はなかったが(やらねばならぬ何ごとも精神)で、ひどい痛みを持ったままで踏ん張ってきました。 自分でも、よくやってるよと褒めてあげたいほどです。

 2022年の12月から私の第4の人生が始まったと思っておりますが、どうでしょうか。

        《パース滞在中に日本語新聞(JAニュース)が毎月五千文字の記事枠を作ってくれていました。その内のわずかなものが残っておりましたので掲載します》

  これまでに書いてあった原稿が底をつき、その後の問題や、支えてくれた人々への思いなどを書き足す予定でいたのだが、妻がいいアドバイスをしてくれました。 

イスラエルパレスチナ問題はいまも再燃しているけれど、あなたがパース時代に書いた文章を読んですっかり分かった気分になったのだから、もし原稿が残っているのなら、それを掲載すると喜ばれるかもよと言ってくれた。 

      毎月タブロイド紙一頁分の原稿を依頼されていたのです。それで食ってきたわけではないのですが、ときおり妻がいい原稿ねと言ってくれたものがありました。 パソコンの中に残っているかと探してみましたが、当時から五代目のノートパソコンでもあり、残っているのはごくわずかですが、

パレスチナイスラエル問題」は(1)~)3)まですべて残っておりましたので、次回から紹介することにいたしました。ご期待ください。