今年も今日で終わりですね。
振り返ると、とても不思議な年でした。
昨年の3月末に突然に寝たきりになり、ベッド生活に。
脊柱菅狭窄症の妻に、介護させていては駄目だと
思いながらも(偽関節)という奇病でどうにもならず、医師も周囲も死に体だとおもっていたようだった。
なんとかして復活して見せると、ベッドの上で筋肉運動し、半年後の9月には立ち上がれるようにまで回復した。
もちろん激痛は去らず、痛みを堪えながらの生活。
体拭きの介護をシャワー補助にしてもらい、ついに
今年5月に、シャワー補助も辞退した。
激痛と疼痛は残ったままだし、偽関節も治っていない。
気力だけで生きているという状態で88歳を迎えられた。
奇跡的な回復と褒められたが、上辺だけで痛みは続いている。
そんな状態のとき、12月半ばに、妻が第4腰椎
骨折で動けなくなった。
食べなきゃならない、寝起きに激痛を訴える妻。
トイレも大変。
寝起きに私が介護して、私の状態も悪くなっていく。
食事を作り、介護し、掃除、ごみ捨て、歩くだけで精一杯のわたしが、何もかもやっている。
だが大問題は、日々悪化しているこのからだだ。
限界を感じながら、どこまで持つのか。
そう思いながら大晦日までたどり着いた。
昨日は、豚の角煮風大根煮。
今夜は年越しそば。明日はお雑煮、中華風にと
思ってる。
限界への挑戦で、やれるところまで、妻を支えて見せる。
辛い中でも戦うしかない。妻は、初めて泣き言
を言う。泣き言とは、こういうものだったのかと、
初めて知った。泣かれるのは辛い。笑っていて欲しい。
妻の場合は、激痛は2ヶ月で終る。4月にはケロッとしているだろう。それまで持ち堪えて居たい。