中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(146)私を守ってくれたのはだれなのか

     《鹿野谷総領事について》

私がパースから参りましたと申し上げた時、皇后陛下が即座に「パースには鹿野谷がいますね」とおっしゃった時には驚いた。

パースに戻るなりすぐに鹿野谷さんに尋ねてその訳がわかった。

両陛下の息女の紀宮と鹿野谷さんのお嬢さんが学友であり、特に親しくされており、皇居内の鳥類研究のために頻繁にお会いしているようだった。そのため鹿野谷総領事の任地もご存知だったのである。このことからもいかに天皇家では、和やかに、さまざまな事柄の会話が交わされているかを窺い知ることができた。

       《超多忙な両陛下の日程》

 九段会館ホテルに宿泊したこともあって、偶然に天皇の多忙さを知る事になった。九段会館は、場所柄、特殊な?人達が宿泊する。皇居清掃奉仕団とか叙勲を受ける方たちとかが多い。そして、その人達が、天皇や皇后にお言葉を頂いているらしい。

 私達がテレビニュースや新聞報道で見ているのは、外国の要人にお会いになったり、園遊会に著名人を招かれたり、叙勲や政府要人にお会いになったり、各種催しにご臨席される程度だが、ほとんど毎日のように時間刻みで公務に携わっておられるのを知って驚くと共に、日本の国をしっかり支えてくださっていることを強く感じたものである。

 あるアメリカ人が「我々だって、金で買えるものなら皇室が欲しい」と言っていた事を思い出した。そういえばアメリカ人のケネディ家に対する態度はその表れかもしれない。

 美智子皇后の、やわらかで温かい手に2度も握手して頂いた事は生涯のよろこびである。ただ触れるだけの儀礼的な握手ではなく、しっかりと握りしめてくださったのには感激をあらたにしたものである。

  鹿野谷総領事とは腹を割った話し合いができる人として特別な印象が残っている。総領事の立場として政治問題に関して私たちと話し合う方は少ないと思うが、鹿野谷さんとははアメリカのイラク攻撃に関して本音で話をしてくださった。

フセインという重しを取り除くとあの国はばらばらになってしまう、たとえアメリカが勝ったとしてもイラク民主化などできないだろう』と夜を徹して話し合ったことが忘れられない。

 パース在住の足掛け14年間に、歴代総領事と親交の機会が多かったことも嬉しい思い出となっている。虹の会発足に向けて総領事館を解放してくれたのも鹿野谷総領事だった。

       設楽総領事夫人とは毎週ゴルフを楽しんだこともあった。中田総領事ご夫妻は帰国後も千葉でお会いし、ホテルでご馳走になった。私たちがパースに住んでいる間に5人と総領事とかかわりあう機会があった。

      総領事とは駐在任地にあっては日本国を代表し、自国の通商の促進と在留自国民の保護にあたり、その駐在国に在勤する自国の領事以下を監督するものとされていて、言うならば日本国を代表する立場であるのです。

   日本クラブの今後についてはなかなかむつかしいものがあると思う。わたしが去った後は縮小化するだろうと思っていた。

 私が新たに立ち上げた社会福祉法人サポートネット虹の会などには若いメンバーが集い、今後も発展していくであろうが、日本クラブの場合は社会への貢献を考えないで単なる親睦会となろうとしているから発展しないだろうと思う。

    《帰国後に創立十周年を迎えた虹の会へのメッセージ》

記念に寄せた私のメッセージの一部を紹介しよう。

『十周年記念行事が出来ますこと、心からお歓びを申し上げます。「サポートネット虹の会」が誕生して早くも十年が経つことに歳月の流れを感じております。どんな組織にも歴史があり、創立に関わった人が考えた理念がそこには存在するものです。しかし月日が経ちますと、組織は理念を失って迷走してしまうことも少なくありません。

「サポートネット虹の会」が最初の理念をしっかり受け継ぎながら、それを発展・実践する活動をしておられることに、深い感銘と感謝の念を持っております。これはひとえにクレイトン会長、デービス副会長及び大槻事務局長(※現会長)さんたちのご努力と、それを支え続けておられる役員がたおよびメンバーの方々の熱意のあらわれだと思っております。(省略)』

 10周年のころにはすでにパースにはおられなかったが、虹の会(以後このように書く)

の発足に大いに活躍されたのは市ノ瀬さんだった。彼女は私の考えていた理念をしっかり受け止めてくださっていたし、関係省庁との交渉や翻訳など書面つくりにも大きな働きをしてくださった。クレイトンさんは、パースに戻られて間もないころに総領事公邸で出会い、そのお人柄とキャリアを知って、ぜひメンバーになってくださいとお願いして迎えた。

デービスさんは、私の大親友でもあり、最も信頼できるかたである。現会長の大槻さんは、「考ええる会」の頃から私を支え続けてくださった方で、温厚で粘り強い方なので、安心して虹の会を見守ることができる。

私は初代から6期会長を務めさせていただいた。