中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(126)私を守ってくれたのはだれなのか

  《社会福祉法人設立に動く》

このころに、全豪州日本クラブの会長に就任した。 全豪州はあまりにも広大過ぎて、各州の役員とほとんど会う機会はない。

西豪州日本クラブの会長時に、日食がパースで見られるというので、シドニー日本クラブの人たちが大陸横断列車に乗って大勢がパースにやってきて交流を深めていた。

他州の日本クラブ会長たちが集まって、一緒に首都キャンベラの日本大使館へ行き、大使と懇談したことがある。のちに国連大使となった佐藤大使とであった。

50歳からは人のために生きるという思いを貫きたいが、西豪州日本クラブはその場ではないことを達観して、別の組織を作ろうとしたが、誤解は招きたくないので慎重に進めるしかない。 

そのころ、戦争花嫁として豪州に嫁いできていた女性が、自宅の前で倒れていて救助されたが、認知症があり、何者かに襲われたのか、自然に倒れていたのかも分からなかった。 彼女は市内の介護施設に入った。

      《老後の認知症の人たちの救済を考える》

以前に芥川賞109回受賞作品「寂寥郊野」吉目野晴彦著・講談社で、アメリカへ行った戦争花嫁が、長く通っていた教会でも嘘つき呼ばわりされ、周囲からも変人扱いを受けるようになった認知症の高齢女性を描いた作品があった。認知症が進んでから英語を忘れ去り、夫にも、子どもたちとも会話が出来なくなっていき、日本語だけが話せるのだった。

当時の周囲の人々は、認知症への理解がなく、異国の地で変人、嘘つき呼ばわりされていくという物語だった。

パースにも、私たちが移住した当時で50人ほどの戦争花嫁たちがいた。 彼女たちが、老いてくると、小説のような境遇になるのではと案じていた矢先に現実が目の前に出現したのだった

介護施設で、スプーンで食事を口に運ぶというサポートを数人で行った。日本語で話せたが、ショックのためか、かなりの重症状だった。 現実的にこのような事態が起こったので、わたしが危惧することが、近い将来のパースにおいて、自分たちを含めて起こりうるだろうと思えた。

        《考える会を発足》

私の呼びかけで「考える会」が毎月一回行ったが、思いの外の人数で始まった。どうも私の考えている目標とは違ったことを期待して集まってくる人たちもいたので、その人たちには悪いが、ふるいにかけるために、結団を急がず、ゆっくりと話し合いを進めた。月に一回18回も費やして長い会合を重ね、十数名まで減ったころ合いで、今後はもっと真剣に話し合えるだろうと思い、総領事の許可のもと、総領事館の一室で、その後の結団への支度にとりかかった。

       《一年半後に「サポートネット虹の会」立ち上げる》

総領事館での会合を重ねること三度目で、岐阜出身の女性からの提案があった「虹の会」が取り上げられたが、虹の会は日本にもたくさんあるので、正式名を「サポートネット虹の会」とした。

理念は神戸暁星学園の理念と同じにしたが、参加者は、学校の理念などは知らない。

私の意図するところを最も良くくみ取ってくれた人がいた。彼女がパースの大学で学んでいる学問と、一致していたからだろうと思う。彼女(市ノ瀬さん)が、政府への申請書などを進めてくれた。彼女は強力なメンバーだった。彼女がいないと、もっと手間取ったかもしれない。

「西豪州公認・社会福祉法人 サポートネット虹の会」が正式に発足した。

会長当時に先ずロゴマークを作った。友人の書道家、デザインの専門家である望月氏に依頼して作ってもらったものが今でも使われている。

《実際のサポート活動》

そのころ、日本で脳血栓を患って、リハビリに成功したので、社長職を退き会長職となって、パースに家を持ち、余生をゆったりと過ごしておられた小林さんがいた。日本クラブにも、時おり姿をみせていた人だった。

彼が、運転中に違和感を覚えて、近くにある病院に行ったところ、二度目の脳血栓だと診断され、即日入院された。十日ほどして、わたしたちの住むエリア近くの大きな病院に転院してきたので、見舞に行くと、立派な食事メニューが置いてあるので、

『さすがですね、こんな立派なメニューが用意されているのですね』

というと

『メニューだけが立派で、食べられるような物は出てこないですよ』

 その言葉を聞いて、翌日から二ヶ月間、妻が作った夕食を毎日病院まで届けた。  

 二か月後に退院してからは、リハビリセンターへの送り迎えを続けた。これがなかなか大変だった。週に二度ではあるが、彼の家までが遠い。彼を乗せてリハビリセンターまで行って、傍に付き添っているのだが

『もう、僕の人生は終わったよ。辛いリハビリなどしたくない』

 と、泣き出すのだった。

 彼は普段は楽しい人だった。彼の兄も脳血栓になったようだが、

『兄は、病気になってから、すぐに泣きだすのだよね。目出度い席でも泣くのだよ。僕は反対でね、病気になってからすぐに笑ってしまう。エレベーターの中でも突然笑いだして、周りの人を驚かす。

葬式の席上で、おかしくって、おかしくって、なんども笑って追い出された』

 そんな彼が、リハビリの辛さと、今後のことを考えて泣き出してしまう。家まで送り届けて去ろうとすると、

『急ぐ用があるのですか、麻雀付き合ってくれませんか』

 麻雀は手も頭も動かすので、リハビリにもなるだろうからと、三人麻雀をするのだが、彼はとても強い。 リハビリの送り迎えに行くだけではなく、麻雀にも付き合わされる。