中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

ちょっと古いものを見つけました

 グーグルで自分の名前で検索していて気が付いたことは、同名の人たちも含んでいて、名前を見ただけでは気が付かない記事も多くなっていることでした。5ページ目まで探したところで、こんな古い記事を見つけました。たぶん、当時の経済学部の井田教授(阪南大学)が書かれたものだと思うのですが。懐かしさもあり掲載させてもらいました。

2002年10月10日(木) 国際交流セミナー が開催されました。

 場所は南キャンパス9213教室。主催は国際交流センター。本部キャンパスの私にとっては年に1度くらいしか行かないキャンパスです。今回は,講演者の中原武志さん(前全豪州日本クラブ会長:社会福祉法人「虹の会」現理事長)と以前からの知り合いであることから,中原さんから見れば息子の年代である私が企画の司会を務めさせていただきました。

 中原さんの講演テーマは,「オーストラリアから世界をみる」 と題して,「世界を見る目,考える力」について学生向きに語っていただきました。中原さんの自己紹介に始まり,10年前に西豪州パースに移住した時のお話し,豪州では「南風が寒く」,「月の満ち欠けが逆になる」ことなどの導入部分の語り口の面白さに会場は引き込まれていきました。

 私が印象に残ったのは2点です。

 1つは「世界を歩くことの意味」についてです。「異文化との接触,交流」の重要性が言われて久しいですが,「日本の文化」を知らずして「異文化」を理解することはあり得ない。日本の文化を深く理解していることが,「異文化理解につながる」というくだりです。私自身,胸につかえていたものが「すー」と降りていくのを感じました。「自己のアイデンティティ(自分がなんであるか)」を知って,初めて相手との違い,異文化の理解が深まるのだと改めて確認しました。

 もう1つは,豪州におけるいわゆる「戦争花嫁さん」たちのことです。1945年に日本が戦争に負け,連合国が日本に駐留したとき,広島は豪州の管轄地でした。若い男の人が少なくなった当時の状況で駐留軍人の人たちと結婚し,豪州へ渡った女の人たちは,現在70歳代の半ばを迎えようとしています。人間高齢化してくると,上手に英語で生活していたはずでも,ある日突然日本語だけでしゃべるようになってしまうというお話しでした。今,中原さんは「虹の会」という福祉ボランティアを作って,活動しています。

 最後に自分の可能性を信じて「生きる」こと,「情熱」を持つことを,若い人たちへのメッセージとしたいと語り,講演は終了しました。