中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

南極観測60周年に思い出すこと多く

 南極観測船砕氷艦]の「しらせ」は11月11日、東京の晴海埠頭から南極に
向けて出港しました。
 「しらせ」(二代目)は今月末にはオーストラリア・フリーマントル港に
到着し食料品などを積み込み、成田空港からパースに到着する観測隊員
たちを乗せて南極へと向かうのです。
 フリーマントルに寄港中に艦長以下幹部たちは豪州の海軍基地への挨拶、
パース滞在の日本人を艦に招いての艦上パーティーを主催するなど慌ただしい
5日間を過ごします。
 そのうちの一夜を我が家でのパーティーのために毎年時間を割いてくれて
いました。
 我が家のパーティーには、総領事も出席してくださるなど盛り上がった
ものです。毎回「しらせ」の幹部10人前後と私の友人たち20人ほどを招いて
行っていました。
 そのパーテイーの写真が残っているのに、ここに取り込めないのが残念です。
 南極観測は今年で60周年になります。映画などでご存じのとおり南極は
大変なところなのです。下の画像を見ると分かるように、豪州から南極へ向かう
洋上は、世界で最も厳しく、いつも荒れている海域なのです。今年は比較的
穏やかで昭和基地への接岸も可能だろうといわれておりますが、航海の厳しさは
毎年変わらないでしょう。
 2003年ごろまでは、観測隊員たちも晴海埠頭から乗り込んでいましたので
艦上での「赤道祭り」などを楽しんだよですが、隊員たちの疲れを勘案して、
日本ー豪州間を航空機利用になって、隊員たちと私たちの交流もなくなってしまい
ました。それ以前は、観測隊員たちとの交流もあり、なおのこと楽しかったものです。
 我が家には、隊員から(飛行隊員)からいただいた南極の石と砂があります。
持ち帰り禁止になる前年に持ち帰ったものを、翌年に持ってきてくださったのですから
とても貴重なものだと言えますね。
 南極の氷は、毎年いただくのですが、ぷちぷちと中から空気が出てきて楽しい
飲み物となるのです。
 歴代艦長との交流も懐かしく、歴代艦長が横須賀の基地で私たち夫婦をもてなして
くださったこともありました。「しらせ」とは熱い交流があったので思い出も熱いですね。
 第45次隊の時の艦長と幹部の方たちが我が家でのパーティーの際にサインして
くださったものがあったのでここに掲載します。
 艦長・原田さん、副長・川上さん、運用長・竹本さん、整備長・島田さん、飛行長・松浦さん、
機関長・高倉さん、気象長・中須加さんの名前が見えます。
日高孝次さんは役職を書いていませんが、二代目「しらせ」の第4代艦長になっておら
れます。
 私が関わった艦長さんたちは全員海上自衛隊の一佐(昔風に言うならば大佐)でした。
久松艦長、加藤館長、帖佐艦長、茂原艦長、石角艦長、原口艦長、大平艦長とそれぞれ
2年間づつのお付き合いでした。大平さんは退職したらのんびり山荘を経営したいなどと
いっておられましたが、艦長経験者たちがみんな「しらせ支援室長」になったのに、大平
さんだけは自衛艦「おうみ」の艦長として第一線に立たれていたようです。
 その『しらせ』は今は千葉県の船橋港に係留されて一般公開されていますから、
ぜひとも観てやってください。
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