中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

討論(ディペイト)とはを考えてみよう

 西欧人とつきあったことがあるでしょうか?

一言で外人と言うけれど、アジア人と西欧人とではかなりの差があると思う。

その理由はアジア人は歴史的に共通の文明を持っているからであり、西欧人は

西欧人としての共通の文明があるからです。 紀元前からの文化が現在にも及んで

いることに異議を唱える方もいるでしょうが、ギリシャとローマ文明の影響は

現在にも色濃く残されるというよりも、しっかりと受け継がれていることを知って

いなければ西欧人を理解できません。 特にある程度以上レベルにある人たちには

ギリシャ、ローマの文明が受け継がれているのです。

 これを言い換えれば、アジアの人たちには中国文明やインド文明を受け継いでいるということにもなります。お互いを理解し合うには、このことを知っておくことが大事です。 西欧諸国では小学校から「ディベイト(討論)」がよく行われます。最近では

日本でも取り上げている学校もあるようですが、多分西欧諸国とは違っていると思います。 例を上げれば、アメリカがイラクを攻撃したことがありました。イラク大量破壊兵器を持っているという情報をイギリスが得たということで国連決議でイラク攻撃を

しましたが、結果は偽の情報だったという戦争でした。 情報が偽であったというのは

あとで分かったことですが、戦争が始まったころは国連で決議されたほどで、だれもが

この偽情報を本物だと信じていた頃に、豪州の小学校でディペイトが行われました。

 日本の場合だと、アメリカが正しいと思う人は右側に集まってください、イラクが正しいと思う人は左側に集まってください・・というところから討論が始まることが多いものです。 しかし、豪州の小学6年生でのディペイトでは、生徒たちが座っている場所を移動するのではなく、右半分はアメリカが正しいという立場で、左半分の生徒たちはイラクが正しいという立場で討論しなさい」ということで始まります。

 なにが違うのでしょうか??自分が持っている信念に沿って発言できるのが日本のやりかたですが、豪州の場合は、自分の信念に関わらず、たとえアメリカが正しいとい信念を持っていたとしても・・左側に座っているからには「イラクが正しい」と言う立場での発言を求められるのです。これがディペイトなのです。

 普段から新聞などを(今ならスマホもありだろうけど)をよく読んでいて、知識を持っていなければ発言できないし、場合によっては「黒」を「白」と主張しなければならないのです。 こんな、まさかと思えるようなことを小学校からやっているのです。

わたしの言っていることが分かりますか? 子供のころからこのような教育をするのが

欧米諸国のやりかたなのです。いつも思弁的に論議できるという教育が徹底しています。 日本では、昔は「弁論大会」が盛大でした。安倍首相の答弁などを聞いていると

思弁的ではなく逃げてばかりですが、弁論大会向きにはなかなかよくやるな!ということになるのかもしれません。

 日本人は本音と建て前を使い分けると西欧人たちは日本人を批判します。西欧人たちは使い分けなどしないというのです。ところが、彼らと付き合うとよく分かりますが、本音の中にちゃんと建前が入っているのです。日本人は彼らのようにできないので使い分けになってしまう。 外交レベルで日本がいまいちなのは、島国で育だち、多くの文明から取り残された民族だからだと思います。 またの機会に別の角度からも書きたいと思っています。