中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(66)

 ファッション技術の凋落は世界的傾向でもある。日本にジーンズが
出始めたころ、大学に着て行ってもよいかどうかの大論争が起こった。
今では考えられないことだろう。当時の日本では、飛行機に乗る時に
は他所行き着と言われるおしゃれをしていたものだが、その頃のアメ
リカでは、ジーンズにTシャツ姿で乗っていたものだった。やはりア
メリカから高級フアッションが廃れて行ったように思う。同じころの
ヨーロッパでは、まだまだ華やかな衣装が流行していたように記憶し
ている。
 その年のファッション傾向を左右するようなショーでは、ニューヨ
ーク発のものあり、イタリア・ミラノ発のものなどがある。国内的に
は東京発や神戸発がある。しかし、なんと言っても代表的なものは、
フランス・パリでのオートクチュール展である。俗にパリコレと言わ
れている。前回に書いたようなデザイナーたちが一世を風靡していた
ものだった。 
 160年代から190年代までは特に華やかだった。日本のバブルが
はじける1990年頃には、世界的に凋落傾向が強まったものだ。
 オートクチュールプレタポルテと言っても分からない人もいる
だろう。プレタポルテは、俗に既製品と言う。いつの間にかきれいな
言葉に置き換えられたが、言葉だけではなく、その昔「既成品」と言
われていた頃の商品とは違って商品の内容もよくなった。
 オートクチュールと一口に言っても、本当の意味でのオートクチュ
ールを作れる人は、1960年代や70年代であっても、ほとんどい
なかったのではないか。私もオーダー服をやっていたので、オートク
チュールと言いたいところだが、本物のオートクチュールを知ってい
るだけに、とても「私もやっていました」とは言えない。
 今から37年ほど前、神戸市東灘区の石屋川に伊藤先生がおられた。
とても失礼ながら、今その名前を思い出せないでいる。多分、伊藤博
先生だったように思う。伊藤先生は、本物のオートクチュールを作れ
る名手だった。私が思うには、彼ほど(当時で70歳ぐらい)
本物のオートクチュールを作れた人は、日本でも数少ないだろうと
思う。
 服を作る時に立体間を出すために「ダーツ」というものを作る。
切り込みを入れて縫い合わせてバスト部分や腰回りなどを立体的に
仕上げるのだ。しかし、伊藤先生は、生地にハサミなど入れないで、
アイロン操作だけで立体感を作りだしていたからすごい。
クリーニング店での経験があるので、先生の理論が良く理解できた。
布というのは、糸を編んであるものだから、アイロンの使い方で
様々な表現が可能なのだが、今の技術では出来ないだろうと思う。
 伊藤先生のような名人は、今の日本にはもういないだろう。そんな
名人芸を目の当たりにしてきたのだから、私などは足元にも及ばない
と感じざるを得なかった。しかし、すばらしい芸術作品を見ることが
出来たのは幸せだった。
 昨年、大阪のある洋服専門学校(他の科目もある)で、生徒たちの
作品展があったので出掛けた。あまりにひどい作品ばかりなので、
そこにいた生徒に尋ねた。「先生は、これで良いと言って下さった
のですか。」と言いながら、基本的な質問をいくつか試みた
。生徒たちは言う「先生は、そんなことは教えてくれませんでした」
と。これじゃ、花嫁修業にもならない。九州や四国からの生徒も多い
らしい。2年間のお遊びのために、親は学費を払わせられているよう
なものだと思った。かくして、現在はファッションとは言いにくい代
物が横行している。