中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人を育てるということ(4)良い子供と悪い子供

 神戸の東須磨小学校の先生のことを前回に書きましたが、

その後の報道で、加害していた教師は生徒の腕を折っていた

ことも判明したとか。

 教師同士のいじめとか、教師が生徒に暴力を振るうなどと

いうことはいまに始まったのではなく、ずっと続いてきたこと

なのだが、あまり表面に出なかったのは、学校というところは

保守的な場所だからなのです。 医師の場合もそうだが、病院

などで何か問題が発生しても、みんなして隠してしまおうという

姿勢が働きます。 学校も病院も、そういう意味ではよく似た

体質を持っています。私が作った高校では、教師から暴力を振る

われた経験をもつ生徒が沢山いた。

 ここで、深く考えていただきたいことがあります。

あの子は「よい子」とか、あの子は「悪い子」などというのは何を

基準にして決めているのでしょうか? みなさんは考えたことが

ありますか? 社会道徳に反しているとか、していないとかが基準

なのでしょうか? 社会道徳と言うのは何でしょうか? 孔子

儒教的教え(韓国には儒教的な影響が強いけれど、日本には道徳

的な部分だけ入っているようですが)に従った判断なのでしょうか。

 一言でいってしまえば、親にとって都合の良い子、悪い子。

教師にとって都合の良い子、悪い子。そういう図式だと考えています。

街で親子の姿を観察していても、それが謙虚に表れています。学校

でも、先生の都合の良いこと悪い子は、やりやすい子、やりにくい子

というわけです。こどもが悪いと思う大人は、自分が未熟だと思って

いただきたいのです。大人が、子供を良いか悪いかを決められるだけの

能力を持っているかとても疑わしいのですが、そんなことを考える大人

が少ないのが現実です。

 では、なぜ(都合の)悪い子になるのかを考えてみましょう。子供

って、すべてが同じ条件で生まれてくるのではありません。極端な例を

上げますが、鉗子分娩をした子供には何かしらの問題が起こり得ます。

また、へその緒を首に巻き付けて生まれてくる子供も何らかの問題が

起こり得る可能性があります。早産での未熟児で生まれた子供にもなに

がしのもんだが起こり得ます。遺伝子の関係や、胎内にいる時の母親

の環境なども影響を与えるかもしれません。 なにを言いたいのかと

いうと、子供は、すべてが等しい条件で生まれてくるのではないという

ことです。 第一反抗期が激しい場合に、親たちが、それが反抗期に

よるものであると認識したうえで子供と接するのと、親の言うことを

聞けというような場合とでは、子供が受ける心理的なものが違ってきます。

 第二反抗期に入るとますます難しい子供になってしまいかねません。

親たちが無知なほど、子供がかわいそうな立場になります。こうして、

先ずは家庭内で「反抗的な子供」を作ってしまいます。学校では、先生が

やりにくい子を悪い子としてみるようになります。 そういう子供たちは

「問題を抱えている子供」であって問題児ではないのですが、職員室など

では問題児として話題になるでしょう。 こういうことが小学6年生まで

続くとどうなるでしょうか? 中学校に入ると規則が厳しくなります。

昔から、帽子のツバに油を塗りたくるなどの表現の仕方がありました。

生徒たちは思春期に入って自己主張が強くなり、ますます規則違反を

犯してしまいます。 生徒指導の教師と言うのは、なぜか体育系の

先生が担います。そこにも生徒を追い込んでしまう問題が潜んでいる

のです。良い子たちは、勉強もできるし、先生に嫌われたくないし、

上を目指しているから悪ぶっている暇もありません。悪い子?たちは、

将来の夢を描く力さえ失って、どんどんやけくそになっていくので

しょう。生徒一人一人をみる能力が今の教師に欠けているのかもわかり

ません。 もちろん素晴らしい教師もたくさんいるはずです。なんとか

「悪い子」たちと接触して導きたいと思う教師もいるでしょう。それが

出来ないのが学校というところかもしれない。 生徒の親で「うちの

子は悪いので、なにかしでかしたら殴ってやってください」という母親

もいた。私は、なんということを言うのですか!と叱った。

小学校も中学校も託児所のように思っている親たちも多いように思う。

「しつけ」は、学校でやってくれるものと思い込んでいる親たち多い。

しつけというものは「家庭教育」の中でやるべきだと知らない親たちが

多くなっている。 日本の親たちの再教育から始めないと、とんでもない

国になるかもしれないという危惧を持っている。

 私の学校に来た生徒たちすべてが変わったとは思っていないが、多くの

生徒たちが大きく様変わりした。当時の神戸大学教育学部の教授が、ぜひ

入学案内に一文を書かせてくださいと仰ったので、甘えて書いていただいた。

その一文には「世界中で、こんなに本物の教育をしている学校が他にあるだ

ろうか」と書いてくださった。長くなった、2000文字を超えてしまった。

(5)に続く。