いじめ防止対策のための法律が出来てから、テレビ、新聞、インターネット
などで、さまざまな方々の意見が掲載されている。
しかし、残念なことに納得できるものが少ないのはなぜだろうか。それは、
それらを書いた人たちの、これまで生きてきた過去が違うからだと思っている。
いじめられた経験がある人とそうでない人の違いもあるだろう。
自分が優等生だった人が書いたものには、理屈が優先している。
子供のころから「いい子」と言われ続けていた人が書いたものには、いじめられた
人の痛みが分かっていない。
何よりも、学校とはなにかについての論議がほとんどないのが不思議でならない。
学校は何をする場所なのか、国民全体でもっと真剣に考えるべきではないだろうか。
多くの人たちがが学校というものに抱いている考え方が正しいのかどうか、考え
直してみてはどうだろうか。
学校に何を期待しているのだろうか。期待しすぎてはいないだろうか。
私が14年間住んでいた豪州の公立小学校でのことだが、子供が1カ月間休んで
いても教師から家庭に電話一本もかかって来なかったという。知り合いの親から
直接聞いた話だ。日本では考えられない。日本なら一日休んでも教師は家庭に
連絡してくるだろう。もちろん豪州の場合でも、この例がすべてではなく、教師から
電話をかける人もいる。しかし、日本のように家庭に連絡をしなければ、問題視
されると言うことがないと言う一例である。豪州でも私立校の場合は、きちんと連絡が
あると聞いた。
以上はあくまでも一例に過ぎないが、生徒の身を教師が何もかも守れるものでは
ない。ところが、日本においては、すべてを教師に委ねてしまっている。
何もかも先生に任せておけばよいと考えている親がなんと多いことか。
「私は親だから子供を殴れませんが、先生はどうか殴ってやって下さい」と言う親までいる。
今の親たちは、家庭教育と言うものをすっかり忘れてしまっているようだ。子供が学校で
どのように「学校生活」を過ごせばよいのかは、家庭教育でやっておくべきことなのだ。
アメリカのある家庭で体験したことだが、小さな子供が部屋の中を走りだしたとたんに
母親が「エキスキューズミー」と言った。とたんに子供は走るのを止めたものだ。
次回は、家庭教育について書こう。