中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

家庭教育ってなんだろう?

 今日は「家庭教育」と「社会教育」について書いてみよう。
教育には、家庭教育、社会教育、学校教育の3本柱からなっている。
そのこと自体を忘れてしまっている人が多くなっていることが問題である。
 
 欧米の国の家庭教育が優れているのではない。少なくとも5、60年前までの
日本は世界最高の家庭教育があったのだ。しかし、今では「なくなってしまった」と
言った方が正しいかもしれないほど、廃れてしまった。
基本的に、教育と言うものは家庭が中心にならなければならない。家庭で行えない
ことを学校に依存すること自体が間違っていると言える。
 よく耳にすることだが、どんな子供に育てたいですかと尋ねられ「人に迷惑を
書けない子供に」と答える人がいる。人に迷惑をかけないというのは、教育以前の
問題で、それを子育ての中心に持ってくることが間違っている。
 少なくとも、50年前までは・・・60年になるかもしれないが・・・
家の中で走ってはいけない、大きな音を立ててはいけない、などは家庭教育の
基本であった。ところが、いまや病院内でも走る、大きな声を出す。子供だけじゃなく
大人までそうなのだからなにおかいわんやである。
 昔は大衆浴場で、立ったまま湯を浴びていると「しぶきが飛ぶだろう!」と
大人に怒られたものだ。その一言で、座って湯を浴びることを覚える。
今では、大人たちが子供たちに注意をしなくなった。なぜか・・うかつに注意すると
キレる子供があるからだという。なんと情けないことだろう。
 大人たちが、社会教育を放棄してしまっているのだ。世の中がよくなるはずがない。
親が子供を教育出来ないで学校任せ、大人たちは、子供たちのふるまいを観て
見て見ぬふりをし、子供たちがキレるのを怖れている。
 それでいながら、学校には「しっかりせよ!」とはっぱをかける。
なにかがおかしいとは思わないのかなと、不思議でならない。
豪州では、大人が大人にきっぱりと注意をする。もちろん大人が子供に対して
きっぱりと注意するのは当たり前でもある。
 日本では、当たり前のことが出来ていない。学校にすべてをゆだねるより、世の
大人たちがもっとしっかりしようではないか。
 私は電車の中でもはっきり注意している。でもキレられたことは一度もない。
なぜならば、相手を一人前の人間だという扱いをしながら注意するからだ。
命令ではなく、対等の立場に立って「こうしてほしい」「「こうしないとみんなの迷惑だよ」
と話しこむのだから、キレられることは全くない。
 そういうことは面倒だ・・という大人たちは、学校を批判することも、いじめ問題を
論議する資格さえないと私は思っている。