《どんな治療を受けるかが問題だ》
どんながんでもいくつかの治療の選択肢があるものだが、前立腺がんほど治療の選択肢の多いケースはめずらしい。
私が告知を受けた2005年当時は、前立腺がんの治療の発展途上の端境期でもあったので、いまなら全く違う選択になっていただろうことは間違いない。
パースにいても放射線の3D照射治療とホルモン療法を合わせた治療を受けることになっていたので、基本的には日本でも同じ治療法をと考えていた。ところが、日本で最初に考え出されたはずの3D照射が日本ではまだ普遍的ではなかったのが信じられない現実だった。
結果的には、粒子線治療を受けることを選び、「兵庫県立粒子線医療センター」に入院治療を受ける手はずを整えてパースに戻った。
《いよいよ帰国へ》
足かけ14年、楽しい思い出がいっぱいのパースを離れることになった。
1991年の調査旅行、1992年の移住以来、パース大好き人間で生きてきた。ソレントから一度も替わることなく住んできたブリック建ての家には今も愛着がある。たくさんの友人も得た。これまでのトピックスの中で何人かの名前を挙げさせていただいたが、お世話になった方が多すぎてとても書ききれるものではない。お許し願いたい。
《14年間のパース移住生活の終わり》
運命というものは、いつ、どのように転換するのか分からないということを、絵にかいたようなことが起こった。
パースに行ってから二年後に喘息と言われた。以前から気管支が弱かったので、さほど驚きもせず、普段の生活に大きな支障もなかった。 一時は、腰が痛くなり、歩行困難になり、いろいろ検査を受けたが原因も定かではなく、日本から取り寄せたリハビリ用のチューブを腰に巻いて三か月後には、ゴルフができるまでに回復した。
40歳の時に兵庫県がんセンターで胃がんの疑いがあると言われ、その後何十回も胃カメラを飲まされた。
移住する際にも「豪州へ行っても年に一度は胃カメラ検査を受けるように」と念を押されたものだが、移住してすぐに受けた検査では、ポリープなど存在せず、日本ではこのようなものをポリープあつかいしているのかと言われた。日本の胃がん治癒率が高いというのも、根拠から違いがあるのだなとパースの専門医は笑っていた。
それよりも、ピロリ菌があるので除去したほうが良いと思うが希望するかと問われ、除去する薬を頂いた。 その後、今日まで胃の調子が悪くなったことがない。
パースは、ピロリ菌発見でノーベル賞を受賞した学者がいて、日本より20年近くもピロリ菌除去が専門医では常識になっていたようだ。 日本でピロり菌除去に保険がきくようになったのは、わたしたちが帰国してからだったと思うから、ずいぶん遅れたものだ。
パースでの14年間の間に受けた治療は、喘息の薬程度のもので、多くはなかった。処方箋は、日本のようにいちいち医院へ行かずとも、10枚つづりになっているので、とても便利だった。定期的に受診していた医師以外では、鼻茸の手術を近くの専門医にやってもらっただけだった。妻の場合は、医療とは何のかかわりも持たないですんだ。
《第三の人生へ》
人生をどう受け止めて考えるかは人それぞれである。 私の場合は、平凡に生きてこられた方々と比べると少々多彩というか、山も谷も多すぎたように思うので、どこが節目なのか自分でも分からない。
しかし、57歳でカナダへ渡るまでが第一の人生だったと考えている。 その後1992年に豪州・パースに居を移してから帰国するまでが第二の人生と言ってもよいように思っている。
2005年9月に帰国し、私にとっての第三の人生が始まったが、そのスタートラインが前立腺がん治療に専念しなければならないというのは何ともやりきれない気持ちではあった。
もともと丈夫な体ではないから70歳まで生きてこられたのは予想外の儲(もう)けものとも思えるが、やはりもう少しは生かしてもらいたいという欲も出ていた70歳でもあった。
《マンション入居まで》
帰国しても、仮契約をしていたマンションの持ち主がアメリカのラスベガスに住んでおられたので、持ち主が帰国される日まで契約もできずウイークリーマンションでの仮住まいが続いた。
10月に入ってようやく入居することが出来た。その景観の素晴らしさに驚いた。6月に部屋を見せてもらった時は、「この部屋から大阪湾が見えるようです」と不動産セールスマンの説明があったが、あいにくの大雨で景色は何も見えなかった。それでも建物や部屋がとても素晴らしいものだったので即座に仮契約をしていた。後でセールスマンが言うには、本当に大阪湾が見えるのかどうかを案内した翌日に確認したらしい。
入居して、その景観に驚いたが、なんと神戸空港、関西空港までも見え、夜には神戸市東部、芦屋市、西宮市、大阪市、堺市、岸和田市などなど大阪湾沿岸の街々の光の群れが輝いている。少し風が吹けば光の群れがより一層きらきらと宝石のようにきらめくさまは光の芸術を空撮している感じがする。マンションの真後ろに六甲山を背負っていて、秋の気配が感じられる。車で駅まで10分とかからないところなのに、大自然に包まれている雰囲気もある。パースから我が家を訪れてくださった方も多いので、私のこの記述が嘘(うそ)でないことを保証してくださるだろう。
がん治療という不安まじりの経験のない世界へ入っていく、何とも言えない暗い気持ちをその素晴らしい景観が慰め救ってくれたように思う。
(その景観も、十年後に前の空き地に住宅が立ち並び、今では家と家の間から大阪湾が見えるだけになってしまったが、十年間も絶景の中ですめたことをラッキーとおもうことしている)