中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

教師の質について考える

 前回は学校について簡単に書いてみました。今回は教師について一緒に
考えましょう。
 教師と言うより先生と言った方がいいかもしれませんので、以後は先生と書いて
いきます。
 私の子供の頃の先生は絶対的存在でした。なにしろ太平洋戦争勃発の時ですから、
なおさらだったと思います。
 それでも、子供たちは子供たちなりに先生を観察し、小学3年生ともなれば
それぞれの先生の資質について評価をしていたものです。先生は教えるものと
固く思いこんでいる人と、生徒からも学ぼうとしているタイプの先生がいることを
知っていました。このように書くと小学3年生がそこまで考えるかと言われそうですが、
ここに書いたような理屈っぽさではなく、心で感じていたという意味なのです。
生徒に寄り添っている先生と、生徒から心が離れている先生とを生徒が本能的に
感じるのは当然のことなのです。
 
 戦後「先生にでもなろうか」「先生にしかなれない」と言う時代があり、「でもしか先生
時代」と呼ばれた時期がありました。この辺りから先生の質が落ちてきたのかも
しれないと私は考えています。
家庭教育の項で書きましたが、戦後日本の家庭教育は雪崩のように崩れ去って行き
ました。
理由の一つとして、食べるものがない時代、生活していくだけで精いっぱい時代の中で
子育てが充分でなくなったという事情もあります。
そして、このような家庭教育の崩壊時に育った人たちが大人になり、ますます家庭教育は
忘れ去られて行きました。
 先生となった人たちにも、そのような時代の申し子たちがいっぱい含まれています。
ですから、家庭教育を充分受けてない人が先生となって、なにを生徒に教えられるの
でしょうか。
 ほとんどの先生たちは、大学を出て試験を受けて先生になっています。いきなり「先生」と
呼ばれます。大先輩の先生たちからも「先生」と呼ばれます。言い換えるなら社会教育と
言うものをほとんど経験しないままで、いきなり先生になってしまうのです。学校と言う
閉鎖的な小さな職場が社会教育の最初の場となるわけです。
 先生は、職員室を出れば大人同士の付き合いから離れますから、切磋琢磨の時間が
少なくなります。担任を持てば教室という「自分の城」を持つことになり、よほど心がけ
ない限り人間的成長が遅くなるように思います。
 そのむかし、学校回りの商売をしていた紳士服、婦人服業者の声を聞いたことがあり
ます。
「先生たちは世の中に疎いから商売がやりやすい」と彼らは言っておりました。
先生の悪口を書いているのではありません。いったん先生と職業になれば、忙しすぎて
社会をゆっくり観る機会さえなくなるために、社会事情に疎い人になってしまうのです。
 先生の職場環境などを改善しない限り、先生たちに多くを望むことは間違いだと思い
ます。ほとんどの方は知らないのでしょうが、教師という仕事は雑用が多く、生徒一人一人
に向かい合う時間が少なくなっています。パソコン処理ができるようになって、少しは楽に
なったでしょうが、先生が生徒たちと充分に向き合える時間を与えると、生徒たちをしっか
り観えることになるのです。
 次回は、教師による暴力についてかきましょう。
とって