中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

いじめ問題・だれが悪い?(6)教師の質の低下

 生徒の親に[自分を変えること]の大切さをどれほど訴えても、多くの親は応じない。
自分を変える=これまでの考え方を事故批判することになるからだが、同じことが
教師たちにも言える。
 はっきり言って教師の質が低下していることも、いじめ問題が収まらない原因でもある。
私は、多くの問題を抱えている(問題児ではない)生徒たちを見てきた。中学校などで
学校一の問題児とされた生徒でも、問題児ではなかった。
 彼らが問題児と言われるようになった原因は、これまでに書いてきたように、親が
家庭教育を放棄したことが最も大きい。次いで小学校、中学校の教師たちが彼らを
問題児に育ててしまったのだと考えている。
 家庭教育が放棄された子供たちは、何がよくて何が悪いのかさえ知らないで育っている。
親も、教師も「よい子」とは、親や教師に都合のよい子であって、悪いことは、親や教師に
とって都合の悪い子供たちのことなのだ。
 大人の都合で「よいこ」「わるいこ」に振り分けられた子供たちは気の毒である。
要領のよい、見せかけだけが「よいこ」を大人たちは、そのまま「よい子」として認知し、
要領の悪い子供たちは、いつも間にか「悪い子」として扱われる。
彼らが出している「信号」「サイン」にも気がつかない大人たちが、どんどん彼らを追い
詰めていく。
 私は、生徒たちに何の不安もなかった。600名の全部が何らかの問題児であり、半分が
各中学校の番を張っている生徒とその取り巻きであったとしても、不安はなかった。
彼らは、一年一年成長していった。単に幼なかっただけではないかと思う。
 しかし、教師たちには手を焼いた。50名もいた教師(延べでは80人も)たちの10分の1
程度だけが、私の望みのような教師に育ってくれたが、生徒たちより教師たちに
難儀した。どれだけ教師教育に時間を掛けたか、気の遠くなるほどだった。
 私の場合は、自分が作った私学だから出来たことともいえる。公立校では、校長の
言うことを教師は素直に聞かないだろうし、はっきり言って、校長になりたくて校長に
なった人たちの中には、生徒を見ないで上ばかり見てきた人が多い。
 そんな校長では生徒を救えない。校長の質が大きな要素を占めるのだが、生徒を知らない
校長が多すぎるのも問題である。
どんな人を校長に選ぶかも問われる。教育委員会などと言うものは校長の古手の
たまり場のようなものであって、問題解決に最もふさわしくない組織だと言えるだろう。
それなのに実権を持っているから困ったものだと思う。
 要約すると、教育界に「人材」が不足している。私は私学至上主義者ではないが、
私学の場合、理念に沿った教育方針を貫くためにふさわしい教師を集めることも
可能なだけに、公立よりは素晴らしい教育が出来るかもしれない。