中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(153)私を守ってくれたのはだれなのか

  《粒子線治療とは》

さて、粒子線治療とはどういうものなのだろうか。兵庫県立粒子線医療センターの説明をそのまま紹介したい。

「粒子線治療について簡単に説明しましょう。従来の放射線治療(X線治療)との最も大きな違いは体内での放射線の分布の違いです。従来の放射線治療では体表面近くで線量が最大になり、徐々に線量が減少するのに対し、粒子線治療は止まる直前に高い線量を体内に落とすことが可能であるため、「がん」により多い放射線を与えることができ、より高い効果と同時に正常組織に対する障害を減らすことが可能となります。
 またがん細胞に対する効果も従来の放射線治療と作用機序が異なり、より高いことが証明されており、究極の放射線治療と考えられています。
 粒子線治療は頭頸(とうけい)部癌(がん)、早期肺癌、早期食道癌、肝癌、前立腺癌、小児癌、軟部腫瘍(肉腫)に有効とされていますが、今後は治療方法の工夫により、また化学療法との併用により、より進行した癌への治療も計画しており、今後さらに粒子線治療の適応となるがんは多くなるものと考えています。また早期肺癌、あるいは小型肝癌に対しては、1日、あるいは2日での短期での治療も計画しています」

  《知らなっ癌をしる》

ここで「がん」について一言触れておきたい。多くの方に「がんは何種類あると思いますか」と尋ねると、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん前立腺がん、肝臓がん、膵臓(すいぞう)がん、食道がん白血病、脳腫瘍、悪性リンパ腫など十数種類ほどの「がん」の病名が出てくるが、それ以上は出てこない。しかし、がんの種類は驚くほど多いのだ。

「がん」は、人体の200ほどの臓器、器官などのすべてに発生する。その上、例えば肺がんだと「小細胞がん」「非小細胞がん」に大きく分けられ、治療法も異なる。同じ病名でも、人によって異なった様相を見せるのが「がん」の特徴でもある。だから、がんの種類は数限りないものと言ってよい。

がん患者は、同じ部位のがん患者からの情報を得たくて集うことが多い。もちろんそこから得られる情報も役には立つが、がんを知るためにはもっと多くの部位のがん患者と接する方がよいと私は思っている。

退院後、二つのがん患者会を設立したが、どちらも部位には関係なく参加できるものにしたのも、そういう理由からである。

兵庫県立粒子線医療センターに入院してみて驚いた。それまで聞いたこともない部位のがん患者が多数入院していたからである。特に私が驚いたのは、鼻の奥にがんが出来た人、涙腺からがんが発生した方など、多くの頭頸部がん患者がいた。「がん」とは、そういうものだったのかということを改めて深く強く認識させられたものだ。たまたまだろうが、頭頸部がん患者に女性が多かった。

退院直前に「がん患者会」を立ち上げようと呼びかけて、32名の賛同を得たが、頭頸部がん患者も多く参加していただいたので、退院後も深くお付き合いすることとなったが、その全員が数年のうちに帰らぬ人となったことが悲しい。

   《入院生活》

 12月5日から翌年の2月5日まで2カ月間入院して治療を受けた。粒子線治療のために、がん部位以外のところを照射しないように照射部位の型取りをする。照射側の機械の方にも装置が施されていて、大腸などほかの正常な部位に照射して副作用がないように配慮される。これは他の放射線治療でも同じことが行われる。

前立腺治療の場合、最近のIMRTなどでは立体的な照射が行われているが、粒子線の場合は腰の左右から日を変えて照射する。2カ月間治療を受けると、照射されていた部分が3センチほど茶色く皮膚が焼けているのが分かる。

放射線治療とは、がんが細胞分裂している時に焼いてがんのDNAを断ち切るものだ。だから、どんながんの場合でも、がん細胞が眠っていて活動していないと放射線抗がん剤の効果が期待されなくなる場合がある。治療を受けた後で再発するのはこういう場合のがんである。

 月曜日から土曜日まで放射線治療を受けるが、その時間と言えば30分もかからない。照射は午前中とほぼ決まっているが、順番はその日によって異なる。治療室では患者の好きな音楽を流してくださるので私の好きなCDを渡しておいた。治療室に入るとサラ・ブライトマンの曲が流れてくる。型を体に正確に装着するまでに少々時間がかかるが、粒子線照射そのものはあっという間に終わる。

 こうして午後に時間がフリーになるので、前立腺がんの元気な患者たちは外に出かける。晴れた日には近くのゴルフ場へ行く者も多く、近くをドライブして観光を楽しむ人も少なくない。デイルームでみんなと談笑する時間は楽しかった。誰もが、がんのことなど忘れたようだった。

 私の場合は、土曜日の午後から帰宅して月曜日の早朝に家を出るというようにしていたが、この年は例年になく雪の多い年で病院の周辺に30センチほどの雪が積もっていた。神戸・六甲の我が家は雪こそ影響はなかったが、早朝の出発時には凍結している場合があり毎週のように気をもんだものだった。高速道路を利用して1時間40分の道のりだった。

   《五女の死去》

 実は、初めての粒子線治療が始まった12月8日に五女が亡くなったと連絡があった。医師に相談したが、今治療を中断すると治療は続けられないですよと告げられた。やむを得ずに葬儀には行けなかったのが辛かった。

 治療は日程表通りに進められるので、中断はできないということだったのだ。