中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(24)

先日21日、祖父の50回忌と祖母の33回忌が同時に行われた。
各地から親戚が集まったが、何よりも従兄妹がたくさん集まった。
集合写真で見ると、従兄妹だけで13名もいる。参加できなかった人が
1名いるから生存している従兄妹は14名だ。
もちろんのこと、私が一番年長で、次いで8歳年下がいて50歳ぐらいまで
続いている。
何しろ父は11人兄弟だったのだから、従兄妹が多いのは当然だ。
久しぶりに顔を合わせられて懐かしかった。
8歳年下の従妹は、私が毎朝近所まで山羊の乳を取りに行って飲ませ、
子守りをしたことがあるよと言うと「うそでしょう!」という。本当なのだが。
 
こうしてみんなが集まったところを見ていると、家を継いで守っていくと言うことは
大変なことである。祖母が、私にではなく、父の末弟に家を継がせたのは正解だった
のでないかと思う。末弟の伯父にすばらしい心根の嫁を与え、祖母なりに後継ぎとして
鍛えてたに違いない。
伯父もその期待によくこたえたと思うし、何よりも伯父嫁がよく頑張ったと感心する。
そしてまた、私が後を継がなくて良かった。家をついでいれば、私のたぐいまれなほど
多彩な人生はなかっただろうから。
人一倍、いや人の数倍も苦労はしたけれど、人の10倍もの多彩な人生を経験できた
ことは、何よりも幸せだったからである。
 
大勢の兄弟たちの中にいても、堂々と胸を張っていられる人生だったと思っている。
それなりのことはやってきたと思うからだ。
しかし、よく考えてみると、従兄弟たちも私の人生をほとんど知らないのだ。
一番近しい付き合いをしている3人だけが、私の人生の50分の1程度を知っている
かどうかだと思う。誰の人生も、人には分からない。それでよいし、それが人生と言うものだ。
自分以外の人には見えないものがたくさんある。形として見えるものだけしか、人には分からない。
見えるものしか、人は評価しない。
一番良く分かることは、人生の終わり近くになって、どんな人生を送っているかと言うことだと思う。
恥ずかしくない人生として終えるためにも、私の得意とする「努力」を今後も続けよう。
次回からは、21歳からの人生やり直しストーリーを書くことにしよう。