先日21日、祖父の50回忌と祖母の33回忌が同時に行われた。
各地から親戚が集まったが、何よりも従兄妹がたくさん集まった。
集合写真で見ると、従兄妹だけで13名もいる。参加できなかった人が
1名いるから生存している従兄妹は14名だ。
もちろんのこと、私が一番年長で、次いで8歳年下がいて50歳ぐらいまで
続いている。
何しろ父は11人兄弟だったのだから、従兄妹が多いのは当然だ。
久しぶりに顔を合わせられて懐かしかった。
8歳年下の従妹は、私が毎朝近所まで山羊の乳を取りに行って飲ませ、
子守りをしたことがあるよと言うと「うそでしょう!」という。本当なのだが。
こうしてみんなが集まったところを見ていると、家を継いで守っていくと言うことは
大変なことである。祖母が、私にではなく、父の末弟に家を継がせたのは正解だった
のでないかと思う。末弟の伯父にすばらしい心根の嫁を与え、祖母なりに後継ぎとして
鍛えてたに違いない。
伯父もその期待によくこたえたと思うし、何よりも伯父嫁がよく頑張ったと感心する。
そしてまた、私が後を継がなくて良かった。家をついでいれば、私のたぐいまれなほど
多彩な人生はなかっただろうから。
人一倍、いや人の数倍も苦労はしたけれど、人の10倍もの多彩な人生を経験できた
ことは、何よりも幸せだったからである。
大勢の兄弟たちの中にいても、堂々と胸を張っていられる人生だったと思っている。
それなりのことはやってきたと思うからだ。
しかし、よく考えてみると、従兄弟たちも私の人生をほとんど知らないのだ。
一番近しい付き合いをしている3人だけが、私の人生の50分の1程度を知っている
かどうかだと思う。誰の人生も、人には分からない。それでよいし、それが人生と言うものだ。
自分以外の人には見えないものがたくさんある。形として見えるものだけしか、人には分からない。
見えるものしか、人は評価しない。
一番良く分かることは、人生の終わり近くになって、どんな人生を送っているかと言うことだと思う。
恥ずかしくない人生として終えるためにも、私の得意とする「努力」を今後も続けよう。
次回からは、21歳からの人生やり直しストーリーを書くことにしよう。