中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「昭和大恐慌」のとき、国民はもっと大変だった

100年前のスペイン風邪によるパンデミック

90年前にニューヨークから起こった世界大恐慌

日本では昭和大恐慌と言われた。

スペイン風邪から世界大恐慌までに10年間あるが、

それらは一連していた。

第1次世界大戦の最中に起こったスペイン風邪によって、

多くの戦士が死亡、感染するなどによって終戦がはやめられた。

ベルサイユ条約では、各国首脳がスペイン風邪感染したことで、

充分な討議を経ずに、ドイツに過剰な戦争賠償を決めてしまい、

それがもとで、ヒトラーの出現を招き、第2次世界大戦へとつながる。

こういうことを書けば長くなるので止める。 日本も、世界大恐慌のあと

戦争に向かうことになる。

 では・・昭和大恐慌の時の日本はどうだったのか?? それだけを

みてみよう。

 身の毛もよだつような時代だった・・・と書かれている。倒産は夜逃げは

ざらで、失業者たちは故郷へ帰るにも銭はなく、歩いて帰った。

15世紀の「応仁の乱」と同様の日本史上の 大事態だった。

不況は世界を覆い、どの国も出口が見いだせなかった。

 昭和大恐慌のとしに26歳だった「放浪記」の林芙美子は、その夏に、

切るものすべてを売り払い、海水着を着て過ごしたとある。

私は昭和大恐慌の最中の昭和9年に生まれた。物心がついたころ、

よく人に言われた言葉がある。「何年生まれ? 戌どしか・・じゃあ・・

食うのにはこまらんやろう・・・」と。 今の子供には、そんな言葉を

いう人はいないだろうが・・コロナショックの後には、そういう言葉も

よみがえってくるかもしれない。 きょう、あるフエリーから人が一人

消えた。 もしかして・・コロナ関連かも知れない。 これから多発する

かも知れない・・。 昭和大好況のあと、右翼ができ、日本は戦争へと

突き進んでいった。 

今回の新型コロナ禍は「スペイン風邪と昭和大恐慌を一緒にしたような

日本史上で類をみない大不況も予測される。 私が2月に、同じような

ことを書いたとき、多くの評論家たちも気が付いていなかった。

3月になってもまだ、リーマンショックを超えるかどうか・・と言っていた。

やはり、あの昭和大恐慌を「肌」で感じたものとの違いだろうと思っている。

肌・・皮膚・・には・・音を感じる能力もあるという。匂いを感じることもできる

というから・・まだ、当時は子供だった私の肌が、大好況を覚えているかも

知れない・・と思った。

 昭和大好況の時は、今回のように救済がほとんどなかった。そういう意味

では、いまは恵まれている。それは政治が良くなったからではなく、国力が

昔と今では違うからだ。 今は曲がりなりにも国力があるから救済もできる。

しかし、国力も仮の姿であって、日本は世界一の借金国には変わりはない。

国民は、いま甘えてばかりだと、のちのち、自分が苦しむことになる。

いずれにせよ、今後5年間はどん底生活を覚悟しなければならないひとが、

この私を含めて、多数を占めるだろう。私がもし若ければ、政治改革に

乗り出したかもしれないが、いまじゃ・・あの世の改革も出来やしない。