今の新型コロナウイルス渦が始まった最初の頃に、これは容易な
問題じゃないよ・・簡単じゃないよ・・恐ろしいぞ!! と何度も何度も
書きました。 騒ぎすぎ!! そういう人がいるからいけないんだ!!
と、思われたこともあるでしょう。
私は零細企業、中小企業、弱い立場の人たちが真っ先にひどい目に
合う羽目になるだろう。 リーマンショックなんていうもんじゃない!!!
私が生まれる数年前に起こった「世界大恐慌」と匹敵する大事になる
予感がする・・・日本では「昭和大恐慌」と言われていたんです・・と、
今後の大不況予想を書きました。 あの頃・・それを読んでいただいた
方々は、あの時の記事をどのように読まれたのでしょうか?
大げさな・・・被害妄想ではないのかと・・思ったかもいるでしょうね。
しかし、私の予感は不幸にも100%あたってしまいました。
そこで、私の父のことを思いました。父と私はほとんど生活を共に
したことがない(数年間だけ)希薄な運命の二人でした。
昭和大恐慌の中で生まれた私を育てることに精いっぱいだったの
でしょう。不況で仕事がない中で辛い思いをしたのだろうと思います。
そして酒におぼれ、母と喧嘩が絶えず・・母は私を置いて姿を消して
しまいました。私は叔母に預けられ、数年後には父は招集されて日中
戦争で中国へわたります。私は小学校を祖父母の許で育ちました。
父は兵役が終わってからも徴兵にとられて川西飛行場で働かされて
いましたが、なんと・・2度目の招集命令で入隊し、今度は朝鮮半島へ
送られました。 そして、終戦後には・・シベリア抑留という苛酷な運命。
5年後に、舞鶴港に戻ってきた夜に舞鶴国立病院で、ボール大になって
いた胃がんの手術を受け、半年後に死にました。
昭和恐慌~~日中戦争~第2次世界大戦~シベリア抑留・・・・
一人息子の私と、ほとんど生活を共にする楽しい生活を味わうこともなく、
42歳の人生を終えてしまったのでした。 そういう時代に生きてきた私は
世のなかは甘くない!!!ことを知っています。 私も台風でひどい目に
遭い、ドルショック、2度のオイルショックにもろに被害を蒙って生きてきました。
だからこそ・今度の新型コロナウイルスが騒がれ始める・・ごく初期から・・
嫌な予感がしていました。 いま辛い立場にある人たちへ・・・だれにも文句が
言えないコロナウイルスだが・・とにかく・何が何でも・・生きぬく以外に道は
ないのです。 不満を言っていても解決はしません。強くなることです。
私は妻から「辛抱強い人、努力の人」と評されていますが、ともかく辛抱する
ことです。 ぐっとこらえて・・生きる。 笑って生きる!! 必ず明日は来ます!!
夜は明けます!! 太陽も昇ります!!! 風も吹きます!! 楽しい話を
思い出して・・楽しく生きようぜ!!