ロシアのウクライナ侵攻について私の論評が甘いと想われる方が居られるでしょう.
しかし、私にとってのロシアという国は、絶対に許せない国なのです。
これは私怨ではありますが、父の仇討をしてみたい気持ちを持ち続けています。
父は1945年に2度目の召集を受けて赴いたのが朝鮮半島でした。
終戦のときに38度線あたりにいたようで、ソ連軍(ロシア)によって捕虜として部隊の兵士全員が貨車でシベリアに連行されたのです。
満州にいた軍隊も同じ運命になっています。
政府の発表によると総数は57万5千人です。
零下数十度という厳寒の地で重労働せられ、そのために多くの人が死にました。
「シベリア抑留」で検索してみてください、どれだけ苛酷な労働であったかガ分かるでしょう。
少しずつ 帰国が始まりましたが、最終は終戦後の6年目でした。
父は4年目の7月に帰国しましたが、舞鶴港に戻って来て、そのまま舞鶴に有る国立病院(元、海軍病院)に入院し、その日に胃がん摘出手術を受けました。
がんは既に拳ほどの大きさだったと病院から説明を受けました。
共産主義教育を受け、洗脳を受け入れた人達をまっ先に日本に送り返し、働けなくなった人間も送り返したのでしょう。
そういう意味から考えると、4年目と言うのは遅い方で、なおかつ病気で働けなくなった帰国できるだけ事になったのだろう。
父と話し合う機会は僅かしかありませんでしたが、
4年間の過酷な日々を語ってくれました。
終戦直前に日本との条約を破って参戦し、終戦後直ぐに日本人兵士を捉えてシベリアに送り、シベリア開発のための重労働をさせたのです。
父もその犠牲者でした。
そして日本政府は、犠牲になった家族に僅かの保証金しか払っていません。
中学三年生だった私の場合、(母である祖母の場合はいくらか受け取ったかも知らないが)何の償いも国から受け取っていません。
両親のいない私の当時の苦境は孤児として15歳で社会に出されたのでした。
だから個人的には憎きロシアなのです。