中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日・中・韓について考える (1) しばらく続けます

  なるべくなら書かいでおこうかと思ったのですが、勇気をもって書きましょう。

日韓関係がここまでこじれてしまうと、その原因をすこしだけ深く考えてみたい

のです。 1回分を1000文字程度にしてしばらくの間書くことにします。

 原稿を書いてから推敲するような面倒なことをしないで、頭に浮かんできた

ことを、そのままキーボードから入力します。そのために、いろんな間違いも

多々あろうかと思いますが、そういう場合は、あとで訂正させていただきます。

また、話が前後することも多くなりそうな予感がいたしますが、それも気に

せずに書き進めてまいります。

私の周辺の方々の中には、中国の歴史とか、韓国の歴史に詳しい方が多く、

少々勇気が伴いますが、そういうこともあまり気にしないで書いていきます。

 日・中・韓について書くのですが、北朝鮮は書きません。韓国と基本的には

同じだと思っていただいて差支えないかと思っています。

 さて、書き進めるに際して「儒教」という言葉が何度も使うことになります。

しかし、儒教について説明していると、それだけで1万文字でも足りませんから、

説明は省きます。

スマホで「儒教」を検索して、簡単な説明文を読んで、分かった!! 気分には

ならないでください。 「儒教」に関しては、それぞれの方に奥深く調べていた

だきたく思っています。 気を付けていただきたいのは、検索すると、儒教

宗教と書いているのも見かけます。 とんでもないことでございます!! 

儒教は宗教ではありません!

 「儒教」は紀元前に孔子が作った「論語」に代表される教えです。

2000年以上も前に書かれたものです。生活全般に至るまで「教え」が

書かれています。

昔は小学校でも、論語の一部分ですが、時の政府が国民を支配しやすい

ようにと・・「子曰く」(しいわく)などと暗記させられたものでした。

説明のために、余計なことまで書いてしまいました。

 さて、中国の歴史は約4000年と言われています。司馬遷(しばせん)が

史記」を書いたのは2000年以上前の、紀元前でした。

史記」は中国を考えるうえでも韓国や日本を考えるうえでも知っておくべき

重要なものです。

 日本へは室町期のころに「史記」は伝わっており、紫式部が暗誦していたとも

言われます。徳川家康は「史記」を座右の銘としていたらしく、家康の生き方

には「史記」から学んだであろうと思われるさまざまな史実がみられます。

司馬遷は自分が生まれるずっと以前のことまで「史記」の中に書いている

ので、すぐれた書物であると認められつつも、半ば信じられていなかった

部分もあるのですが・・最近の発掘調査によって「史記」に書かれたさまざまな

ものが裏付けられ、「史記」は、再認識、再評価されています。

 「儒教」「史記」の二つのキーワードを書いておきました。ご参考までに。