中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日・中・韓について考える(2) 儒教の影響

 

  中国は儒教の教えを体制にしてしまったがために、紀元前までの華々しい栄華

を失ったのではと考えています。 儒教の教えを政治の中、国民生活全般にまで

浸透させてしまって身動きの付かない状況をその後の2000年間も続けてきたと

言えるでしょう。 論語には、とても素晴らしい言葉が並びます。小学校の時代に

教えられた道徳などは論語の教えといってよいでしょう。親は大切にしましょう。

目上の人を敬いましょう。この言葉はどれも、間違いではありません。

  中国以上に儒教が国を覆ったのが韓国でした。卑近な例を挙げておきましょう。

極々最近の事情は知りませんが、30年ほど前までは、両親の前で煙草を吸うなど

できなかった(しなかった)のです。それはそれで、素晴らしいじゃないかとも思いますが、すでに「教え」ではなく、習慣化されていたということです。 朝鮮の李朝政権は

500年続きました。李朝政権は、儒教の本家である中国よりも徹底して儒教を重んじ

ました。 古きものを壊して、新しいものをつくるということは、儒教的にやってはいけないことでもあったのです。

 儒教は、当然のこととして日本にも伝わってきています。ここが日本という国の不思議なところで、朝鮮のように儒教にどっぷりと溺れてしまうことはかなったのです。

日本らしく・・いいとこどり・・をしました。国を治めるのに都合の良い部分だけを抽出

する程度にしか儒教を受け入れなかったのです。 日本が「明治維新」を成し遂げられたのは、儒教体質に浸っていなかったからだと言えます。 もし、日本が明治維新をやり遂げていなければ、とっくの昔に西欧諸国のどこかの属国になってしまっていたことでしょう。

  儒教はアジア各国にひろがり、儒教の影響を受けなかった国はないと思えるほどに広がりました。しかし、儒教の優等生になったのは朝鮮半島だけでした。

中国においても、儒教は宋の時代に入って儒教道教や仏教の教えが影響を与え、次第に哲学的な要素まで持つようになっていくのです。

 その哲学的要素が「朱子学」となって日本に入り、日本のも大きな影響を与えたのです。 今もなお朱子学を尊ぶ輩が右派としているに違いありません。

 中国の場合、漢文化をさほど認めていないモンゴルがなだれ込んできて南宋を滅ぼしたフビライが、ビルマ、タイ、ベトナムまで含む広大な「元王朝」を作ってしまいました。 漢文化に影響を受けなかったのはモンゴルだけだと言われ、現在に至っても

漢文化に染まらなかったのはモンゴルだけだともいわれます。

 この元王朝(1271年~1368年)の時に儒教体制や儒教習慣が滅びなかったのが不思議なほどです。それだけ、生活の中に深く根ざしていたともいえるでしょう。