中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

田辺聖子さん逝く・思いで多くて寂しい

 作家の田辺聖子さんが亡くなられた。91歳だった。
おせいさんと呼ばれていた。 おせいさんがまだ神戸に住んで
居られた頃から週に2度もお会いすることが何度もあった。
ご主人は「カモカのおっちゃん」としてよく知られたお医者様だった。
40数年前、神戸一小さくて汚いスナック「シャネル」という店があった。
ママは日本が統治していた頃の台湾の知事の娘だった人だった。
この店におせいさんとカモカのオッチャンがよく来ていたのだった。
出版社の担当者を連れてくることもあった。 この店には、毎日と言って
いいぐらい神戸新聞の政治漫画を描いていた高橋孟(もう)さんが来ら
れていたし、作家、画家、彫刻家などなど多くの多彩な方々の集まる
場所だった。
 私は、たまたある方に連れて行かれたのだったが、経営していた私の
仕事場と近かったということもあり、ママから気に入られて「武志、毎日来い!」
と言っていただいて、よく通った。 おせいさんやカモカのおっちゃんとも
よく歌った。 多分、日本一早かったと思われるカラオケだった。8トラック
などのずっとまえにカラオケがあったのです。
 カモカ連が有名連として徳島の阿波踊りに招かれて、あの観覧席が
設けられているところで踊った記憶がいまでも忘れられない。40年ほど
前のことだ。 神戸から引っ越されたマンションにもお伺いしたことがある。
一つの部屋いっぱいに日本人形並べられていたので驚いたものだった。
 カモカのオッチャンも味のある方だった。 おせいさんも優しい方だった。
田辺聖子さんの軽妙なタッチの文章のなかに、あまり気づかれていないが、
とっても深い心遣いを感じるものがある。それは、どんなに軽妙な感じの
文章の中であっても、使われている漢字、熟語がとても大切にされていると
いうことです。 そこのところを感じながら「おせいさん」の作品を味わって
くだされば、かんじるものがあるでしょう。 作品数が多いので、お奨めなど
できませんが、まずは気楽にたくさん読んでみてください。